今回のスリランカ旅行は、予定通り、コロンボ、ダンブッラ、シーギリヤ、キャンディ、バッドゥーラ、ティッサマハーラマ、ゴール、ヒッカドゥワ、コロンボとぐるりとスリランカの下半分を周遊してきました。
9年前と違うのは、とにかくコロンボに大きなビルがやたらに増えたこと。ショッピングセンターやマクドナルドなどの外資系ファーストフードの存在。小綺麗で早いバスが増えたこと。そして、極端に減った客引きくらいかな。あとはそれほどの違和感はなかった。相変わらずやたらにシャープで黒々とした烏の巣窟なのには、もうほんとに懐かしさを憶えましたよ(笑)

スリランカ入りしたのが24日の深夜だったのですが、翌々日の26日では、津波から1年ということでスリランカ中で追悼式をしていたようです(テレビを見れないので宿の親父に聞いた)。26日の夕方はダンブッラの黄金寺院に登っていたのですが、この時、仏教寺院からもモスクからも楽器の音や放送が聞こえていたので何かなと思っていたのですが。

「1年でスリランカは立ち直ったよ。家もみんな直った。」

そう言い切った親父の台詞を胸に向かった南西海岸では、まだまだ倒壊した家屋の脇にテントを張って生活している人や修復する気すらなさそうな家屋を見て、居たたまれない気持ちになりました。

ただ、今にも修復が終わって「もうすぐ新しい家に住むんだっ」って感じで、家の外にずらーーっと家財道具を並べて家の完成を待っている家族の姿や、ビーチのど真ん中にどっこりと突きでたホテルの残骸のコンクリートの破片はもうそのままに、目の前に新しいゲストハウスをどーーんと建てて営業していたり、なんていうかやりきれないながらも未来が見えてきている感じで、じんわりと感動しました。

一番感動的だったのは、ゴールの港です。夕方、ぴっかぴかの新船(?)に乗って男達が一斉に漁に出ていく姿は、日暮れというシチュエーションも相まって本当に美しかったです。

スリランカは暖かい国なので、テントで生活を送ってもなんとかなります。だからまず、鉄道、バスなどの公共機関、学校、仕事の場やツール(ホテル、船など)から修復していったのかなという気がしました。働く環境を整えば、後は未来に向かってがんばるだけです。がんばって働いてお金をつくって、また家を建てればいい。この国ではそんな前向きな印象を受けて帰ってきました。

「津波の時はこの店の宝石がみーんな流れて無くなっちゃったんだよ」
なんて、何ともないような顔をして話す宝石屋のおじさん。

「うちの店、見るだけみていってよ。気に入る物なかった?じゃあしょうがないや」

きっとここまで店を復帰するのも大変だったろうに、ちーっとも押しつけがましくなくて、逆につらい津波の体験を含め、いろんな話を聞かせて頂いたこっちの方がたくさんの物を貰ったようで申し訳無かった。

次にヒッカドゥワに行ったときは、またおじさんの店に立ち寄ろう。そして今度こそ気に入ったアクセサリーを見つけよう。おじさんの「気に入ったかい?良かった」と満面の笑みを楽しみに。

2006年1月に書いた記事です。