乾物屋さん1
乾物屋さん2
ナッツなどの量り売り。
バス停などに出没する。
午後4時過ぎ。ギルギット行きのフライングコーチ(ミニバス)に乗り、ラワルピンディ(ピンディ)を出発した。

このバスはいわゆる夜行バスだ。夕方4時過ぎにピンディを出発し、途中、食事やトイレのために、3時間に1回くらいの割合で休憩を挟みつつ、翌朝10時にギルギットに到着する予定だ。
ミニバスに限らず、この路線をバスで走ると、どんなに急いでも半日以上かかってしまう。

出発から2時間ほどで本格的な山道に突入。ある意味、ここからの道がカラコルムハイウェイの醍醐味である。

左は絶壁、右は崖。遙か彼方の谷底に、ちょろり流れるインダス川。
そして、やっぱり山道。右に左に急カーブが続くのにも関わらず、当然の様にカーブミラーはない。

バスは助手席から、補助席から、とにかく座席は満席だった。そして、それぞれの客が相当量の荷物を持ち込んでいる。
明らかに過積載。そのくらいなら旅ではよくあることだけれども、なまじ道路が整っているのである。
山道で、目的地が遙か彼方で、しかも道路がきれいに整っているとなると、かなり飛ばす。
人が飛び出してくることもなければ動物だってあまりいなそう。加えて、対向車はヘッドライトの明かりでなんとなく判別できる。

そして、繰り返すけど、過積載である。

Rが短いカーブでスピードを出すということは、バスにそれだけの遠心力が加わる。しかも、重ければ重いほど外側に飛び出す力は増すのである。

「右に左に揺さぶられ、ガラスに頭を打ち続けてこぶができた。」

な~んて、言っているうちはまだまだ甘い(言ったのは私だが)。 これはまだ余裕がある証拠である。
だって、私は左、つまり山側の席だったのだもの。

不幸にも右の席を選んでしまった人は、見たくなくても窓の外に断崖絶壁がちらつく。
加えて左カーブになるたびに、バスから飛び出しそうな勢いで、車側や窓ガラスに体が押しつけられる。

そして、夜行だ。途中でとっぷりと日が暮れてしまい、谷底が全く見えなくなる。
何があるのかどこまで落ちてゆくのか、明るいうちに谷底の深さを見てしまっているだけに、 妄想はとどまることを知らずどんどん膨らんでゆき、精神的に非常によろしくない。

「谷底まで落下する間に、木っ端みじんどころか、陰も形も残らないかも・・・。」
とかなんとか考えてしまったのは、
「ほんとに高いところから落ちるとその加速によるエネルギーと空気抵抗との摩擦で、
 肉体が少しずつちぎれていって、最終的に体の水分だけがびちゃっと地上に落ちるんだよ。」

とかなんとか嬉しそうに語っていた高校の物理教師のせいである。 ※ さすがにそこまで高くはないです(笑)

「崖っぷちの枝に引っかかって助かっちゃったり?」とかなんとか、ほほえましい想像をできない自分が悲しい。
遊園地の絶叫マシンなんて、ちゃんちゃらおかしい。あんなもの、安全が約束されているのだから。

夜明けの山並み
夜明け直後の山並み
地元民向けのドライブイン
地元民向けのドライブイン
話は戻って、3時間程で小さなドライブインで停車した。

外国人観光客向けの観光バスが立ち寄る様なところと違い、英語での案内板もないし薄暗い。
所在なげにきょろきょろしていた私の姿を認め、

「トイレはあっち。」「食事するんだろ?おいで。」

と、なにげに親切な青年が一人現れた。

「チキンとか食べれる?この店、メニューないから注文してあげる。」

まるで心の内を見透かしているかのように私がしようとしたことを先取りして気遣い、終いには夕食代まで払ってしまった。

代金は頑として受け取らないので、

「やっぱりイスラム教徒は、旅人に親切だってホントなんだなぁ」

ってこのときは自分の中で勝手に納得して終わらせた。

食事休憩が終わると、バスは再び山道をひた走っていった。
さっきまで私の隣の補助席は子供だったのに、気がついたら若い男に変わっていた。
この青年はイスラマバード大学に通う学生で、休みを利用してギルギットの自宅に帰省するところだそうだ。

「ギルギットではどこに泊まるの?トレッキングは好き?俺らはギルギットで一泊したあと、家族でトレッキングに行くんだ。君も行かない?」
「ホテルは高いだろ。よかったらうちに泊まりなよ。うちは大家族だし安心だよ。」

・・・これはどこかで聞いた。さっきの青年との会話で出たそっくりそのままの台詞である。
そして、前の方で我々をちらちらと探る視線が一つ。先ほど食事を一緒した青年が落ち着かない様子でこちらを伺っている。

イスラム教をよく知らなくても、ムスリムの男性は奥さんを4人まで持てるという俗っぽいことだけは知ってたりする。
「奥さん、4人も侍らして、ハーレムじゃん!」なんて、安易に考えることなかれ。 これはどの奥方も平等に愛することができるならという条件付きである。
また、実際には、経済的な事情などもあり、庶民は2人奥さんがいれば多い方のようだ。

「僕には母が二人いるけど二人の母は喧嘩ばっかりしてる。だから自分の妻は一人で充分だ。
 二人以上いたら余計な争いが生まれるよ。それに妻の数だけ子供が増えてお金もかかる。」


宗教で4人までいてもいいと言われても感情までコントロールは無理。やっぱり焼き餅やくのだね。
そういえばこの教えも、昔、男が戦争かなんかで少なくなった時に、女子供の生活を救済する意味でもあったとどこかで聞いた気がする。

しかし、それでも複数奥さんを持つ男性はいるわけで、そうなると必然的に女性の数が足りなくなる。
30代、40代の男の奥さんが10代半ばだったりすることも普通にあったりする。
そして「僕は一人でいいんだ!」という台詞は私を妻に娶ろうというアプローチの一環だったらしい。
(勿論、一人目の妻だという前提は信じてませんけど。下手すると4人目か?)

やたらに世話を焼いてご飯を奢ってくれた男も、座り心地の悪い補助席に移動してきてまで話しかけて来る男も、要するに私を足りない嫁候補にいれたな?という。
世話を焼いてくれるのはある意味ムスリムが旅人に親切にするということもあるだろうし、
ムスリムの男性が女性を大切にするのを当たり前に思っていることもあるだろう。
だけども、それ以外の目的もあったことは間違いなかった。

その後も山の上に上がればあがれるほど真面目にくどかれ、真面目に口説かれれば口説かれるほど、
旅行前に気がついたとある仮説に信憑性が増していった。

それは、パキスタンの情報を探していたときに目にとまった、とある旅行代理店の特別企画についてである。

『フンザでのホームステイを斡旋します。条件:○月~×月までで1ヶ月以上、滞在費は無料ですが、ちょっとした労働のお手伝い(農作物の取り入れなど)をして頂くこともあります。ただし、女性のみ。なぜなら宗教的な理由で男性が入ることを好まない家庭があるからです。』

イスラム教の家庭ならば、奥さんや女の子供のいる家庭内に赤の他人が入るのを好まないのはわかる。
しかし、労働の担い手を必要とするのならば、絶対に男の方が役に立つ。

そんなのわざわざ外国人の手を借りるまでもなく、近所に有り余っている男どもをかり出せばすむことだし、第一、"男が入るのを好まない家庭がある"という程度なら、気にしない家庭もあるような気がしてならない。
パキスタンでも山の上の地方は、普通に町を出歩く女性も一緒に農作業をする女性も多いからだ。

そもそも同じ屋根の下に住まないまでも、別に小屋をあてがうくらいのことはできるはずだ。 企画名を適当に変えれば男性だって受け入れることも可能だろう。(一緒に働くのもまずいと言われればそれまでだけど。)

しかも、この企画は日本語ページにのみ掲載されており、英語ページには全く書かれていない。
これは、絶対に絶対に、日本人嫁探し企画であると私は解釈した。
だって、日本語のホームページを作ることは、英語のホームページを作ることよりも、難しいと思いません?!

というのが、パキスタンをほんの少しだけ旅した日本人OLの仮設だが、真相は如何に?!

ムスリムは嫁を複数取るから女が足りない・・・っていう乱暴な仮説はともかくとして、
山の上は嫁不足っていうのは絶対あったと思うな。フンザに嫁に来たときのメリットを蕩々と語られたし。