今までアジアの旅ばかりしていた私が、突然南太平洋の国々を訪れるようになった。今回はフィジーである。

あれほど一人旅が気楽だと思っていたのに、1年ほど前から海外を1人で旅行することに苦痛を感じるようになった。
一人の気楽さより一人の寂しさの方が勝ってきたのがこの時期だ。
その割に1ヶ月もすると外に出たい病がうずうずし、家でくすぶっているのには耐えられなかった。


「たまには、友達でもさそってみっかな~」

そんなノリだったと思う。そして誘って乗ってきそうなのは、そのとき仕事を辞めていたダイバーの友達。
沖縄は日本だし、東南アジアでへたったから、今回アジアはパス。ハワイは日程いるし。・・・南太平洋デビューする?
2002年3月。南太平洋のリゾート島。フィジーへの初めての旅だった。

フィジーでは友達は思う存分ダイビングに明け暮れ、私は1人で島巡りをした。
バスに飛び乗り行ける町まで行ってただ歩き回った。
そして、日本に比べてのんびりしていると思っていた東南アジアが、実はものすごい活気のある所だと気が付いた。
話には聞くけど、南の島の緩さって、相当なもんだ。
そして、リゾート地は外国人が勝手に作ったというか、島の中で明らかにそこだけが浮いていて変だ。
これはもうちょっとこの島国を見て歩きたい。と、改めて好奇心がうずうずしてきた。

フィジーのリゾートアイランド そして、その年の12月になり、思い切っての南太平洋への一人旅。
諸事情により、タイに寄って韓国から行くという訳のわからないルートだったので、旅のはじめはタイから。
私と同様にバンコク経由で旅する友人に合わせ、同じ便でバンコクに飛んだ。
彼はタイから陸路でカンボジア、ベトナムへ。私は数日のタイ滞在の後、韓国経由でフィジーに飛ぶ。お互いへんてこな旅程である。
お互い有効期限間近のバンコク行きのチケットを持っていたということ。
そして、私の目的地のフィジーへはバンコクからフライトはなく、韓国や香港、オーストラリアなどへ一度飛ばねばならず、 韓国経由を選択したというわけだ。

タイ航空のおやつ タイで合流した友人は、以前、タイのカンボジア国境の町アランヤプラテートで出会ったA氏。
彼は彼で数日後にベトナムで友人と待ち合わせており、だったら素直にベトナムに入ればいいものをわざわざタイから陸路で行くという。
そして、以前使ったアランヤプラテートを除くと陸路でカンボジアに入れる国境といえばタイの東南部の町ハートレーク。
今回はそっちの国境を越えてカンボジアに入っていくという。

韓国からフィジーへのフライトは毎日はなく、数日間タイで時間をつぶすつもりだった私は、国境までA氏をお見送りにいった。
バンコクで一人でだらだら過ごすより、違う町を見た方が楽しそうだったからだ。

翌朝、バンコクを出発した我々はタイの東南部の町ハートレークを目指した。
バンコクの東バスターミナル(エカマイ)からバスでトラートへ。約5時間ほどで順調にトラートに到着。
町の雰囲気は以前来たときと代わりがないのだが、トラートから直行で国境の町ハートレークに行くミニバスがあった。
以前はトラートからクロンヤイ、クロンヤイからハートレークと、ソンテウを乗り継がないと行けなかった。
これって、やっぱり国境が開いたからなんだろうなぁ。

次のミニバスは午後3時。ハートレークまでは場合によっては2時間かかる。 イミグレが開いていなかった場合、手前のクロンヤイという町に逆戻りしないといけないし、開いていたとしてもビザの無い私は追い返されるかも。

麺麺 国境までとりあえず一気に行きたそうなA氏を説き伏せ、こんばんはクロンヤイに泊まる。
だって、カンボジアのビザを持ってるA氏だけが通り抜けられた場合、一人で取り残されるんだもん。
アライバルビザが取れるかどうか調べてこなかったのよね~。

クロンヤイは一番最初のタイ旅行でも来た町で、あのときはまだカンボジアの治安も不安定でココンからの国境は開いてなかった。
その頃からほとんど町の様子は変わらず、タイの町では当たり前になりつつあるセブンイレブンすら見当たらない。

ネットカフェ 全く変わらないなぁと思ったけど、唯一時代の変化を感じたのはインターネットカフェの存在だ。
さすがに日本語フォントはダウンロードされてませんでしたしやたらに遅かったけど、地元の子供たちがゲーセン代わりに使うには問題なさそう。

そして、近年では家庭用のPCやスマホなんかが普及して、このインターネットカフェも装いを新たにしてそうな予感。
ともあれ、こんな感じで、2002年末のフィジー旅行はなぜかタイをブラブラすることから始まったのでした。