港で雨の中たたずむ少女たち。止まないかなぁ?
【雨の港で傘を寄せ合い晴れを待つ。止まないかなぁ?】

先にも書いたが、本来の目的地はバンダ海に浮かぶ小島:バンダ島へ行くはずだった。
予想外の船の欠航で、急遽変更した行き先が、ケイ・クチル島。
マルクの州都アンボンから飛べる離島は他にもあるが、ケイ・クチル島はビーチがとっても美しい。
そしてなにより、ここからバンダ島への航路移動の希望がまだ残されていたからだ。

しかし、残念ながらケイ・クチル島からバンダ島への航路は日程が合わず諦めざるを得なかった。
その代わりに、前回のケイ・クチル島の旅の時、目をつけていたタニンバル・ケイ島行きを目論む。
ロンプラにも"昔ながらの伝統的な生活が残る未開の島"とか"宿はなく、民泊"とか書いてある。
定期航路もあるにはあるが、出発時間や曜日の情報があやふや。
行きたければ、ツテをたどって島への足や宿泊先をあらかじめ手配しないといけない。

折しも飛び込んだデリマコテージは年末年始はすでに予約で満室。

「12月31日まで泊まるからさ。12月31日~1月2日の日程で島の旅手配できない?」

「オッケー。じゃあ手配しとく。」

と、こんな感じで、宿のオーナーのベニーに島行きを依頼した。

港へと続く道
村の教会から港へと続く道。
島への出発の朝、「6時に宿に車が迎えに来る。」というので、5時に起きてせっせと荷造りを始める。
同行の友人の一人はよりによってばかでかいスーツケースで来ていたので、そういう邪魔な物は残して行くのである。

ケイ・クチル島の中心街トゥアルからやって来たドライバーの車に乗車し、タニンバル・ケイ島行きの波止場があるDebutの村へ着いたのは7時前後だろうか。
数隻の漁船が停泊しているすぐ脇の市場とおぼしき屋根付きのスペースに大きな荷物を持った人たちが数人たたずんでいた。

30分、1時間と経過しても舟が出航する気配はない。
そのうち港まで一緒に来てくれたデリマのベニーも「じゃあ、俺戻るね!」と宿に戻ってしまい、
見知らぬ島の住民達と、ただ、ただぼーっとたたずむのみである。

波止場の前にはトイレはあるが、鍵がかかっていて利用できないし、周辺のワルンも営業時間外。
おまけに、この日の早朝のこの時間は、潮が引いていて、どう考えても、舟だせねーだろ・・・。
目の前の海の真ん中に停泊していた舟の船底が、浜の上で傾いているんだけども・・・。
船員と思われる人たちが、舟を押したり、引いたり悪戦苦闘してるんだけども、まさかこの舟じゃねーだろうな。

タニンバル・ケイTシャツ
タニンバル・ケイTシャツ
波止場に着いてから1時間半くらい経過した頃からだろうか。
港には次々とバイクやベモが横付けし、乗客や荷物がどんどん増えて行った。
そのうち、背中にリュックを背負ったインドネシア人男性がバイクでぶぶーんとやって来て、 我々にアイコンタクトを送った。
見れば彼のTシャツの前面にはタニンバル・ケイ島のマップが印刷されており、どうやら彼が今回のガイドのデディ氏のようだ。

実は、前日、デリマのベニーにこう言われていた。

「船着き場に着いたらデディに電話してくれ。そいつが君らを島に連れて行く。」

そんなこと言われても、インドネシアで使える電話など持っていない。

結局、我々と車に同乗し波止場についてきたベニーが電話してくれたと思われるのだが、
あの~、デディが港に着いたのって私らが港に着いてから1時間半以上後なんだけど・・・。
・・・何のために早起きして港に来たのよ、私ら。

後で仲良くなっていろいろ聞いたんだけども、デディってラングールに住んでんの。
デリマコテージから港までの距離より、ラングールから港までの距離の方が当然遠いし、
おまけにこっちは車であっちはバイク。どう考えてもデディより後にでても間に合うだろ!

その上、詳細は追々書きますけど、結局、舟が出航したのって午前11時前なんですよ。
途中、ものすごい暴風雨に見舞われて、ずぶ濡れになりながらも荷物だけはぬらすまいと、
舟を待つ島人たちと雨が吹き込まない隅っこに固まって暴風雨をやり過ごしたりもしたし、
踏んだり蹴ったりとはこのことだ。(暴風雨はちょっとした台風レベル。)

旅を終えた今になってみると、早朝から行く意味もある程度はわかる。
小さな漁船しか入れない遠浅の島なので、潮の満ち引きで出航時間が毎日変わる。
乗客が余りに少なかったり、逆に多かったりと、出港するかしないかも状況によって変わる。
そして、「港に着いてから電話しろ」っていうのは、たぶん、すっぽかす人いるんじゃないかなぁ。
時期によっては早朝に出航するはずだけど、起きれなくて来ないなんて普通なんじゃない?
(でも、日本人は約束通り行くから、信用して!と声を大にして言いたい。)

おまけにこの日、台風並の暴風雨が吹き荒れて、どう考えても波が高いのに、

左がエベット
左がエベット。中国と
インドネシアのハーフ。
「心配しないで。いつものことだから。舟はちゃんと出ますよ。」

と、なぜか我々の周りからぴたりと離れず、我々と同レベルの中学生英語で、説明する中国顔の男。
時々、デディとなにやら話し込んでいるのを見ると、島の男のようだが・・・。
出発前から本当に訳がわからない。

私は「タニンバル・ケイ島に行きたいから舟と宿泊場所手配できない?」くらいのつもりだったが、 港に現れたデディも中国顔の男(エベットという)もどう考えてもこれから小旅行をする出で立ちで、 ふたりとも島まで一緒に来るっぽい。

「一人でいいだろ!」と思うのだけど、我々に英語であれこれ状況を説明してくれるのはエベットで、
要するにデディはインドネシア語しかしゃべれないので、通訳としてエベットが必要らしい。
舟と宿泊場所の手配どころか、ガイドが2人。これは想定外だ。

たぶん、この人達の乗船料も我々が払うんだよね?
お金の話とかなんとなーくうやむやのままだが、気がつけば舟の出航準備も整って出航間近。
この後、とんでもない船旅となることは、このときの私はまだ知るよしもないのだった。

(つづく)

舟をなんとか動かそうと画策する船頭さんたち
【ようやく潮が満ちてきて、どうにか舟を動かしたい船員さん。まだ底擦ってます。】

正月休みはインドネシア人も実家に帰るのだ。

朝の7時に港に着いても、引き潮で港が使えず。

思いっきり引き潮の海岸
我々が港に着いたのは朝の7時頃。ちょうど干潮で桟橋に係留してある舟を除くと、舟がこうやって陸地に乗り上げている状態だった。 船着き場の周辺で待っている人たちも10名以下で、「え?舟でるの?」と言う感じ。そして、50mくらい沖に漁船が一隻ぽつんとあり、底を擦った状態で傾いていた。まさかその舟が我々が乗る漁船だったとは・・・。
小舟でなんとか舟にたどり着いた船員達 1時間くらい経過し、ようやく舟まで小舟を出せる状態になると、おそろいの黄色い合羽を着た船員とおぼしき人たちが、小舟で漁船に向かい、船底に溜まった海水をバケツでくみ出したりして、出港準備を始めた。
えーと、この舟が桟橋につけられるのは何時間後だ??

続々と港に到着する島民達。帰省で荷物がいっぱい!

帰省する島民がベモや車で大荷物でやってくる。
タニンバルケイ島への舟は毎日はないように聞いていたが、ちょうど年末年始なのもあり、帰省する住民が続々とやってきた。 あの小舟に乗れるのか?と思いきや、どこかの島から乗り継ぎの舟までやってくる状況で、この日は2席の漁船が島へ向かって出航した。
大荷物を積んだベモや車が次々と港にやってきて、そこら中が食べ物や飲み物でいっぱいに。中にはケーキや豆腐などの手作りの加工食品もあり、 ああ、こういうものも島では手に入らないんだなとしみじみした。
ビールを箱買いしているのをみて、ムスリムの集落ではないことを少しほっとした。(2日後、日本から持参した酒とつまみで島の男達とかなり打ち解けました。)
帰省する島民の荷物の山 ケーキ 豆腐

暴風雨が吹き荒れて、一斉に荷物を避難。ケーキ壊れちゃう!

風と逆方向に荷物と一緒にみんなで固まる。
この日は朝からしとしとと雨が降ったり止んだりを繰り返していたが、11時過ぎに突如猛烈な暴風雨がやって来て、大騒ぎに。
我々が舟を待っている屋根付きのスペースは「どう考えても市場だろ」という作りをしていて、壁などないから横殴りの雨が吹きこんでくる。
大事な荷物だけはぬらすまいと、一致団結で荷物を隅っこに固め、ビニール袋やビニールシートを調達してきて、必死にケーキや豆腐を守る。 (ケーキを買ってきている人は一人や二人ではない。)
港で我々の姿を見るなり、指さしてギャーギャー起こっていたばあさんも、「ほら、あなたの荷物、こっちの高いところに置きなさい!」と妙ににこやかで、あの剣幕は一体なんだったんだ!とぽかーんとしてしまった。

ちなみに怒っていたのは、どうしても帰省したいのによそ者がいるので、「舟に乗るのは私らが先だ!」と言っていたらしく、デディやエベットが「今日は乗客が多いから舟は2隻出るし、彼らは2隻目に乗せるから大丈夫だ」と話して、納得させたらしい。
「こんのくそばばあ!」と内心思ったが、内心でとどめておいて良かった。小さい島、小さい集落。2隻の舟に乗った全員が同じ村人で、昼も夜もいつでも歩けば会っちゃうのだった(笑)。(よそ者はこちらなので、勝手に訪れる我々は謙虚でなければならぬのだ。)

ようやく出港!おっと、もう12時回ってるわ・・・。

風と逆方向に荷物と一緒にみんなで固まる。
嵐をやり過ごし、2隻の舟の出航が整ったのは昼前くらい。ようやく島人たちの荷物を搬入しながら乗船が始まった。
インドネシアのマルク地方は日本との時差がないのだが(ジャカルタは2時間、バリは1時間の時差がある。)、 カメラの撮影時間をみたら、12時回ってましたよ。私たち、朝の7時から港にいたんだけど・・・。
日本だったらどう考えても安全性を考えて欠航する天気だが、とにかく島に帰りたい村人がたーっくさんいたので、 天気が怪しくても、波が高くても、出発しちゃうのが、タニンバルケイ流。

後でわかったが、この島はいろんな意味で自然に翻弄されるので、「行けるところまで行く」が島人たちにとっての正解らしい。
今度は是非、雨期ではなくって乾季に行きたい。

▼ インドネシア ケイ島旅行に行きたくなったら・・・物価の目安にどうぞ。

旅行時期:2016.12月
95インドネシアルピア=約1円


■交通:シュノーケリングボート 600,000ルピア
■宿泊:デリマコテージ 135,000ルピア/室
■食事:昼食・夕食 45,000ルピア/人、瓶ビール450,000ルピア/本、缶ビール250,000ルピア/本

■成田-ジャカルタ航空券 直行便で燃油サーチャージ込み60,000円前後~。(参考:海外格安航空券の検索・予約 YAZIKITA)
 ジャカルタ-アンボン航空券 片道15,000円~20,000円(予約クラス・レートによる。)

私はエイビーロードで金額をざっくり把握、アタリをを付け、個別の代理店に問い合わせます。


旅程を立てるために参考にした本やウェブサイト
Lonely Planet Indonesia

マルク州の情報が唯一載っているガイドブック。分厚いので私はこのガイドブックは切り刻んで必要な箇所のみを持っていきます。
重い荷物を持ち歩きたくない場合は、電子書籍版を購入するか、oney planetの公式サイトで売っているpdf版を必要箇所だけ 購入することも可能です。
今回は古いロンプラ(紙のガイドブック)に加え、電子版をネットでダウンロードしました。
掲載されている地図や記事は古い方のが詳しかったので両方使えて便利だった。
都会と違って離島は急激に発展しないので、古い情報で旅しても問題は起こらないです。
インドネシアの人は親切なので、指さし会話帳などを駆使しながら頼り切るのも有りですよ。

agoda
ジャカルタとアンボンの宿を予約。スカルノハッタ国際空港付近のトランジットホテルが豊富。