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第12話 バスに揺られてポロンナルワ。そして帰国。 [ポロンナルワ]

  キャンディを発った後はスリランカの仏跡見学にする。スリランカで初めての観光らしい観光だ。
数ある遺跡群の中から我々が選んだのがポロンナルワ。バスで3時間くらいの距離である。

キャンディの長距離バスターミナルに向かい、ポロンナルワ行きのバスに乗ると、外国人の我々は異様に目立つのか、既に乗り込んでいた現地の人々の視線がこちらに集まり、見る人見る人とバチバチ目が合う。
スリランカの人と視線が合っただけなのにじろじろ凝視されているように感じてしまう自意識過剰ぶり。
私も日本で外人みるとつい目で追ってしまうが、見られる立場ってこういう感じなのね。
だから勿論、視線に意味がないこともわかるんだけどね。ちょっとどぎまぎしますね。
どうもポロンナルワにバスで行く外国人は少なくて、車をチャーターするほうが普通のようだ。

バスの座席には二人並んで座れるほど席に余裕がなかったので、そのまま立っていようと思った。
しかし、乗り合わせた兄さんがやけに座れと薦める。座って、正解!このバスがかなりのくせ者だった。

スリランカの乗り物は、乗用車はぴっかぴかの日本車が走り回っているをよく目にした。
しかし、ことバスに関しては使い回しのモノが多く、日本や欧米諸国で使われなくなったバスを貰いうけ、それに手を入れることもせずそのまま使っているようだ。
相当年期の入ったマイクロバスが、"○△幼稚園"といった日本語表示を消さずに走り回っている。

すべて古いわけではないのだが、乗り心地がいいかどうかは運次第。今回は一言で言えば運が悪かった。
古いマイクロバスのバスの使い回し品で、スリランカでの長距離走行には不的確なバスである。

スリランカは常夏の国だ。高原地帯は朝晩涼しかったりするが、それは例外で昼間はもっのすごく暑い。
だから、折角舗装してある道路も、暑さでアスファルトが柔らかくなっってしまい、行き交う車の重みででこぼこになってしまう。
そして、運転手は細い山道だろうと段差があろうとかまわずぶっとばす。
3時間もの間身体は右に左に激しく揺すぶられ、時折宙を飛ぶ。走り屋も真っ青。
こんな滅茶苦茶な運転で酔わない方がおかしい。転げ落ちないように必死で捕まり~の、気持ち悪いのをこらえ~の、眠くて無意識に隣のおっさんにもたれかかってたたかれ~の、いや~きつかった。
周りの人はけろっとしているところを見ると、これも慣れなのだろうか。

目的地のポロンナルワは、遺跡のある旧市街と街の中心である新市街とに分かれており、両者は距離にして2キロほどは離れている。
バスの揺れで弱り切っていた我々は、ぼーっとしていて旧市街を通り抜けてしまい、よれよれの身体で重い荷物を背負って、とぼとぼと歩いて旧市街に戻った・・・。

先が見えない一本の田舎道を、えんえん歩き続けたのはつらかったな~。


ポロンナルワで仏跡見学。

ポロンナルワでは旧市街の奥にあるゲストハウスDEVI TOURIST HOMEに滞在。
疲れた体にむち打ってひたあるいてたどり着いた最後の楽園。愛想のいい夫人と彼女の家庭料理が美味しい宿だ。
スリランカってインドほど事件は起こりませんし、客引きなどにつきまとわれることも少なく思いっきりくつろげた。
カルチャーショックと受け入れられるのは最初のうちだけで、それがひっきりなしに続くとさすがに疲れる。

今回の旅行で一番美味しかったのはここの家庭料理だったし。

ポロンナルワの遺跡 ポロンナルワでは宿で自転車をレンタルし、遺跡巡りをしてみた。
遺跡はとても広く、おそらく歩いて回っていたら日が暮れる。
我々は自転車で廻ったがオートリキシャーで廻っている年配の欧米人もいた。

ところでスリランカの仏跡は、これらの保存・修復のために観光客はかなり高額な入場料を払わなければならない。
金額にして1人15アメリカドルである。学生は半額なので国際学生証を取ってあると良い。
ポロンナルワに限らずシーギリヤ、ブッダガヤも同様で、スリランカの遺跡には外国人料金が適用される。
日本で1400円払って国際学生証を作ったが、3つの遺跡を回れれば充分元が取れたのだが、スリランカ滞在時間が減ったからまあしょうがないです。

この当時、インドの遺跡は外国人料金はなく、タージマハルもレッドフォートも5ルピーで入れた。今はタージだけで20ドル。
外国人料金をすべて否定する気はないのだが、でも、タージが黄色く変色しているのは近くの工場からの汚染との話を漏れ聞くし、世界遺産だからと一律外国人からふんだくるんではなくて、原因を作った企業からもとって欲しい物です。(どうしているのかはしりませんが)

蓮池に入る 遺跡の最大の(?)見所であり、スリランカ人が口をそろえて自慢するのが仏陀の石像。
「座っている仏陀」、「立っている仏陀」、「寝ている仏陀」の三種類がある。
この仏陀の前で1人の日本人カメラマンに出会った。スリランカに来て初の日本人である。
彼はもう2ヶ月もスリランカを撮り歩いているが、日本人には一人も会ってないそうだ。
プロのカメラのファインダー越しに見た仏陀は、自分のカメラとは全く別物でどきっとしたものだ。
出来上がりの写真も見たかったけど、若かった当時は仕事で来てる人と話すのは緊張してしまって、 何の媒体に使われるのか聞くこともできず、そそくさと退散してしまった。 今思えば残念でした。

旅の終わりのまとめ

ポロンナルワの貯水池
【人々の生活を潤してきた貯水池。澄んだ水が綺麗だったよ。 】

旅の終わりがやってきた。今晩21時、日本に向けてスリランカを出国する。
この2週間いろいろなことがあった。
インド人にカルチャーショックを受けにバラナシへ行けと言われたが、バラナシに行かなくてもどこにでも転がっていた。
海外どころか日本もろくに回ったことのないこのときは、何をしてても新鮮な気持ちだった。

インドでもスリランカでも自分の信仰をものすごく大事にしていた。
おかしな新興宗教の影響もあってか、「宗教」=「変な人の集まり」みたいな偏見を持っていた。
でも、心から神を信じる考え方もあるし、心から信じるあまり逆に人の信じる神を否定する心もある複雑な世界だ。

そして、自分がいかに恵まれた国、恵まれた時代に生まれたかということもしみじみ感じた。
物があふれているから幸せというわけではないが、便利だからと必要以上に求めているものがいかに多いことか。
今回の旅ってほんとの意味での修学旅行って感じだったな~。
学生の頃の修学旅行って「決められたところに行かされる」だけで、あんま憶えてないし。

ところで、インドもスリランカもとても暑かった。旅で過ごす日を重ねるにつれて我々の肌は日に焼けていった。
スリランカ入国当初は日本人そのものの肌の色だったが、インドからスリランカに再び入った頃には怪しいバックパッカーと化し、
街を歩いているだけで警察に止められてしまった。

「あなた達どこいくの?」ときかれ、「宿」と答えると、二人の警官はとても驚きを隠しきれない表情で顔を見合わせた。

「どこからきたの?」との問いに「日本」と答えると絶句。

差し出したパスポートを開き何度もパスポートの写真と比べて戸惑う。一体我々は何人に見えたのか?

そして、スリランカ出国当日、Sちゃんはバスの中で「あなたフィリピン人?」と言われていた。インドでは「あっネパール人だ!!」と現地の男の子に指を指されていた。
私はどこへ行っても日本人か中国人だと思われていたと思うけど、上述の警官を思えば定かではない...。

結局、私たちは日本人じゃなくって「ガイジン」ってことですかね。
初めての海外旅行は物を知らなすぎて書いてることが恥ずかしすぎですが、自分の記念なので保存しときます。 偶然行き当たった方、あしからずご了承ください。