旅ナビ-東南アジア
※当サイトは商品・サービスのリンク先にプロモーションを含んでいます。
ホーム > ミャンマー > はぁ?TSUNAMIってなんのこと?ミャンマーの情報鎖国っぷり目の当たり。

はぁ?TSUNAMIってなんのこと?ミャンマーの情報鎖国っぷり目の当たり。

ぐるぐるぐる・・・とお腹を壊したミャンマー最後の晩餐を終え、今日はいよいよヤンゴンを経つ。チェックアウトの12時までごろごろと転がり、ホテルの車で空港へ(昔のあたしなら流しのタクシーを交渉して捕まえたものだが・・・)。ヤンゴンの空港は国際線、国内線が同じ場所になるため、国内線ターミナルへ向かう一組のフランス人カップルと同乗することになった。

彼氏は大柄で何かスポーツでもやっていそうな体格なのに対し、彼女はとても小柄。そういえば、フランス人って意外と小柄な人が多いとかどこかで読んだなぁなんて思ったりして。これまで旅で出会ったフレンチもそういう人多かったかも。

その小柄でかわいらしい彼女はとても人なつっこい。

「ミャンマーはどうだった?私たちこれから飛行機でバガンに行くの。良かった?」

バガンは良かった。夕日が最高だった。レストランでもお腹を壊した。料理がいまいちですぞ。等々、簡単な英語で受け答え。もっとたくさん情報をあげたいんだけどね、ごめんね。

バカうまのプリン
【バカうまのプリン】
ミャンマー旅行についての当たり障りのない会話が一通り終わると、彼女が訳のわからないことを言い出した。
旅行者が旅行について話している時には出てこない単語が出始めたので、何を言っているのかが飲み込めない。
時々「津波」とか「地震」とかゆっているのはわかる。

「・・・ミャンマーの大昔の伝説の話でもしているのか?」
「この人はミャンマーオタクかなんかなんだろうか。そういうのについていける英語力はないんだけど。」

と、話半分で聞き流していたが、よく聞いていると私にこのことを知っているか問いかけているらしい。

「ええと、そのTSUNAMIって一体いつの話?」

勿論うそっこ7-11
【うそっっこ7-11】
その台詞にただでさえ大きな目をまん丸くした彼女。

「やっぱり、ミャンマーには情報が流れてないのよ!!」

と彼氏にフランス語でなんだかんだと言い、自分のデイバッグの中から写真雑誌を取り出した。

「津波が起こったのは1週間前よ。インドネシア沖が震源地で何万人も死んだの。ほら見て!」
めちゃくちゃに崩壊した家屋。海岸沿いに並んだおびただしい数の血だらけの人間。泣き叫ぶ子供。フランス語の雑誌でもインドネシア、スリランカ、タイ・・・と所々は読める。ええ?なんだこれ??
ボーゼンとページをめくっている私に向かい、彼女は大げさなゼスチャー付きでひたすら解説を続ける。

「最初は、スマトラ沖で地震が起こったの。その後大きな津波が押し寄せて人や家を飲み込んだのよ。そして、津波がざざーーっと引いて、また来たの。その後の写真がこれ。やっぱりミャンマーには情報が流れてなかったのね・・・」

私はヤンゴンしたのは12月24日。その二日後に大地震が起き、津波が押し寄せたという。プーケットとかインドネシアとかインドとか・・・って、じゃあ、ミャンマーも被害あるんじゃないの?でも、こんなニュース流れてなかったし、ミャンマー人も誰も話題にしてなかった。テレビといえば、みんなサッカーに夢中だった。どこの食堂でも男どもが群がってタイガーカップに集中してた。・・・ええっ?

「私たちは昨日ヤンゴンについたのよ。旅行に行くかどうか悩んだけど、ミャンマーの被害は報道されてなかったから来てみたの。」

ええっと、ええと、そうですか。彼女の言うことに相づちを打つくらいしかできない。でも、・・・こんなこと言ってはいけないのだが、ほんとに陸に打ち上げられたマグロみたいで、これが人間だというのが信じられない。日本のメディアじゃこういう写真載せないもん。これは一週間前に起こった現実の出来事?リアリティが・・・全くない。

あまりの驚きに順応出来ず、そんな状況でやっと出た言葉がこれ。

「あの、私、空港に着いたら家に電話します。きっと、両親は心配していると思う。」
「そうだね。そうした方がいいよ」

彼氏の方がふかーく頷いて神妙な面持ちでそう答えた。
やっぱ・・・心配してるよね。きっと。


「一体、どこにいたんだおまえは!!連絡くらいしろ!×○△××※・・・」

電話の向こうで父の罵声が飛び続ける。やっぱりものすごい大きな国際ニュースだったんだ。タイでもインドネシアでも何万人も死んだんだぞとか、連絡先くらい控えておけとか、「そんなこと言われてもなぁ・・・知らなかったし」なんて思いつつ、ただじっと小言に耐えていた

「まあ、無事だったんならいい。お母さんには連絡しておくから」

一通りの小言が終わると、最終的には諦めたようなホッとしたような声に変わり電話が切れた。

翌日、日本に帰ってみると、災害から既に一週間以上経っているというのに、ニュースでは相変わらず被害状況の中継や救助活動ばかりを流していた。こりゃ怒られるわけだ。

実はうちの両親。私を外務省の行方不明者に登録していたのは当然として、在ミャンマー日本大使館にも電話をして、捜索依頼をかけていた。

いくら日本語が通じるとはいえ、うちの両親がミャンマーまで国際電話をかけたところも驚いたが、日本大使館の方も捜してくれたというからさらに驚き。

「12/25にヤンゴンのホワイトハウスというゲストハウスに泊まっていたことはわかりました。でも、その後どこに行ったかは・・・。ただきっとお嬢さんは、このニュースのことを知らないと思いますよ。」

落胆のあまり「ミャンマーに行って捜す」と言い出した両親を制し、「来ても捜しようがない。大使館に立ち寄ったら必ず連絡するよう伝えますから」と言われたそうだが、コレまで旅行中に日本大使館に行ったことなんて一度もないし。だって・・・行かないでしょ。パスポートなくしたりしない限り。

とにかく、今回の旅行は、ふつーに楽しく、ただちょっぴりハードな移動を繰り返していてへばっていて、さらにインフラがいまいちだから「明けましておめでとう~」なんて電話をかける気にもまったくなれず、当然、ネットカフェにも行かず・・・。たまたま自ら情報を収集する機会がなかったことで、 ミャンマーの情報鎖国っぷりをまざまざと体感することになった。

帰国後のニュースでは、ミャンマーの被害者数が一桁だったと思えば、何百人に増えたり、はたまた「外国の支援はいらん!」と言っているのを見たりして、旅行に興味のない職場の同僚なんかは、

「わけわかんねぇ。オレは絶対いきたくねぇ」

なんて、表面上のニュースを聞きながらバカにしていました。

私は逆にミャンマーに興味を持って、いろんな情報を集めてみたりして、「わけわかんねぇ」と吐き捨てる同僚の意見は浅はかだなぁと確信していったものです。
私が全てを知っているわけでも、私が読んだ本が正しいことだけを言っているわけではありませんが、
「情報を隠す」=「軍事政権だからだめ」
という結論は、この国には当てはまらないというのが私の中での結論です。旅行前に聞いた評判、旅行中の体験、そしてあの国の歴史や事情を勘案すると、少なくとも悪は別の所だなーと思うわけです。

どこの町にも必ずある教会。西洋風の作りの町、クリスマス休暇。そして、少数民族のシャン人とインド人の混血のおっさん。かつての支配国の残した爪痕は今でもとてつもなく大きかった。

日本のメディアも西よりの報道しかしてきませんでしたが、そもそも最近スーチーさんって見ないと思いません??どちらが正しいのかは、まさにこれからの歴史が証明していくことでしょう。

※ 昔、イギリスがミャンマーを支配したとき、当時の王様とお后様を国外に追放、さらにお姫様は身分の低いカーストのインド人と結婚させたそうです。さらに少数民族やインドから連れてきた低カーストのインド人を要職につかせ、とことんビルマ族を迫害。つまり「ばーちゃんがシャン族」という彼の存在は、イギリスの香りがぷんぷんにおってくるなぁと言うわけです。