なぜ君がここにいる・・・。不要な再会の後、帰国へ。
【高級ホテルのレストランで食べたステーキ。一番小さいのが日本よりでかい。】
タベウニ島で数日過ごし、飛行機にてナンディに戻った。
正直、これほど長い間タベウニに滞在する気は無かった。2,3日滞在し、船でナンディまで一気に戻るつもりだったのだ。
しかし、フェリーの思わぬ予定変更で飛行機を取らざるを得なくなったのだ。しかも、ビジレブ島に到着したその日の夜中にはソウルに向けて飛ばないといけなくなった。
ナンディ行きの飛行機はスバからタベウニ入りした時と違ってほぼ満席。スバの方が首都なのだが、リゾート地に近いナンディが国際線の主な就航空港になっているため、各離島間の飛行機もナンディ路線の方が利用客が多いようである。
1時間の飛行時間で無事ナンディの空港に降り立つと、まずは近くのホテルのドミトリーへ。
荷物置き兼シャワー確保のためにドミトリーにチェックインし、荷物を置いてナンディ散策にでかけた。
最終日ということで、ナンディの最高級ホテルシェラトンの中にあるステーキハウスに向かう。
肉=豪華な食事という浅はかな考えだったが、肉のあまりの厚さと付け合わせのクリームポテト、チーズトースト、パイナップルジュースのあまりの多さに完敗。一生懸命食べたのに全て平らげることはできず残してしまう羽目に。
考えてみると私は肉の塊がそれほど得意じゃなかったのだった。アメリカンタイプのステーキはキツイ。
続いてそのままタクシーに乗って、同系列ホテルのプライベートビーチを散策してきた。
ずっとバックパッカーが巡るルートで回っていたので、高級ホテルの様子をのぞいてみたかったのもある。
シェラトンのプライベートビーチ
しかし、波打ち際に出てみれば白砂の下に真っ黒な砂が見え隠れしていて、「ははーーん。砂運んできたな。」と思わず独り言が漏れた。まあ、ウソ物でも、泊まっている人が満足できればそれでいいのだけども。
高級リゾートホテルの雰囲気を一通り見物したところでナンディタウンに向かった。
町に来たのはネットカフェが目的。タベウニ島ではネットなどあるわけもなく、1週間貯まったメールが気になったのである。
食事、高級ホテル、ナンディタウンと大忙しでナンディを周遊し、バスを拾うためにバス通りを歩いていた。
いつくるかわからないバスを待つのは落ち着かないので、少しでもホテルに近づきたかったからだ。
しばらく歩くと向かい側から観光バスがやってきた。
このバスはリゾート島へ行った人をマリーナから送迎するバスで、私も数ヶ月前に乗ったものである。
「それよりローカルバス来てよ。ローカルバス~。」
1人で外国をぶらぶらしていると独り言が多くなる。くそ。このまま数キロ歩くのか?
するとだ。背後から誰かが私を呼ぶ声がした。こんな所で知り合いに会うとはとうてい思えない。ナナヌイラで一緒したKさん?
訝しげに思いながら振り返ると、なんとそこにはスバのドミで出会ったインド系オーストラリア人のS氏がいた。
・・・え、ええ~?
「こんなところで会えるなんて!今のバスに乗っていたんだ!」
「君は昨日、船でラウトカに戻るって言ってたろ。船の到着時間にマリーナで待ってたんだ。」
「だけど、待てども暮らせど君は現れなくて、君の名前を呼びながら大泣きしてしまったよ。」
何でだよ?約束なんてしてないのに。
「仕方ないから今日は1人でリゾートに行ってきたんだ。そしたらバスの中から君を見つけて・・・。とっさに降ろしてくれ~って叫んで降りてきたんだよ。」
その後も彼は大興奮で暴走しっぱなし。食事を一緒しようと言われても今腹一杯にステーキを食べてきたとこ。
ホテルに帰るといえば、タクシーで送るとかしつこい。
「バスよりタクシーの方が早くて快適だ」って大きなお世話だ。私はバ・ス・に・乗・り・た・いのだ。
そして、そんな矢先にぶーっとローカルバスが通り過ぎた。あー、もうっ!
言い争っている間にタクシーに乗らざるを得ない状況に追いやられ「ホテルまで送る。」どころかホテルの中まで入ってこられた。「ついてこないで欲しい。」と言っても勝手についてきて、終いには「彼を部屋に入れられては困ります。」と私がフロントマンに怒られる始末。
フロントマンが見せたあのときの白ーーい目は忘れられない。
再三言っている通り、フィジーにはインド系の民族が非常に多い。
このシチュエーションは、どこからどう見てもその辺で引っかけてきた男を連れ込もうとしている日本人女である。
ちゃんとした恋人なら最初から一緒にチェックインしますからね。
どこまでもどこまでも要領の悪い彼。人前で泣きじゃくる。バスの中で大声で叫んだ上で飛び降りる。
ホテルまで押しかける。終いには空港まで送るって・・・いらなーーい。
どうして私がこんなに恥ずかしい目に遭わなければならないのだろう。
「ごめんなさい。何度も言うけど本当に迷惑です。私の旅を邪魔しないで欲しい。1人になりたい。お腹なんてすいてない。疲れているのに英語で会話なんてしたくない!!」
疲れた頭を振り絞ってきっぱりとはっきりと言い切った。それでもちっとも聞く耳を持ってくれなくて気が遠くなった。
私としても何でこんなことになってしまったのかが見当がつかない。
だって、スバのドミトリーでちょこっと一緒になって話しただけじゃないか。
アジアにおける日本人女性。そして、南米における日本人男性が現地の人にもてるっていうのは有名な話。
相手の目的はお金だったりいろいろあるようですが、旅の恥はかきすてというのもあり、日本と違ってつい羽目を外してしまうのが海外旅行の危ない?ところ。
そういう話を聞いて「私は絶対違う!」って思っていたんですが、不可抗力ってこともあるってことを初めて認識した。
英語力のなさとか、言いたいことを言わない性格が邪魔して巻き込まれることもあるらしい。
ましてやこういう場合、あたし、怒ってるのよ!っていう粗暴な言動が・・・英語じゃわからない。
考えてみると、こういう場合は日本語でまくし立てた方が怒っていることが伝わったかも知れない。
一生懸命英語で言おうとするから泥沼にはまったらしい。
数年後、旅先でまた違ったトラブルに巻き込まれたときも、やっぱりうまく怒ることができなかったんだけど、
こういうのは言葉だけの問題ではなくて非常に難しいです。
海外暮らしとかしてる方は意思を伝えるのにいろいろ苦労するんだろうなぁとしみじみしました。
エピローグ。帰国へ。
最後の最後ですったもんだしたフィジー滞在を終え、夜9時にナンディを飛び立った。飛行機は順調に飛行を続け、早朝に韓国の仁川国際空港に到着。 出発ロビーに駆け上がり荷物を預けると、その足でソウルの町へ繰り出した。
常夏の国フィジーから極寒のソウルへ。覚悟をしていた割にはそれほど寒く感じなかった。
ところがそれは気のせいで、町を歩いて数分も経つと、耳や顔に当たる冷たい空気がキーーーんと肌を刺す。
そういえば、空港に入ってきたバスは窓ガラスが透き通っていたが、ソウルに着いたらカチカチに凍って曇りガラスの様だったっけ。
海に近い仁川とソウル市内では相当の温度差があるってことだ。
ソウル駅から一目散に地下道に潜り。地下鉄駅を目指して歩いていった。
朝の7時頃のソウルは通勤のサラリーマンで一杯。黒や焦げ茶のロングコートがざくざくと闊歩する姿はなんとも異様な雰囲気だ。着ている物がダークな上に、顔もむっつりしているので、なんか怖いんだよね。
「端から見ると日本も毎日こんな感じなんだろうなぁ。」と不思議な感覚だったのをよく憶えている。
ってまあ、道を聞いたら親切に教えてくれたし、単なる思いこみだというのはよくわかっているけど。
明洞カルグクス
事前に調べておいた地下鉄駅至近の汗蒸幕に飛び込み、半日めいいっぱいエステをしてみた。ほっかほかのつるつるになったところで、これまた一目散にご飯であったかいカルグクスをするりと頂く。
1月のソウルを歩く私は、発熱シャツのブレスサーモ、Tシャツ、ネルシャツ、フリースにウィンドブレーカーという軽装で、 ウィンドフレーカーの下にこっそり大韓航空で失敬してきたブランケットを羽織って終わり。(一応、空港でこっそりお返ししてきました。)
この格好も冬の東京だったらなんとかいけるが、さすがにもっと北のソウルは厳しくて、少し歩いては空いているデパートに駆け込み暖を取り、 歩いては喫茶店に駆け込むの繰り返し。
乗り継ぎの暇つぶしとはいえ、我ながら良くやるわ。
夕方になり仁川国際空港に戻り、成田に向かった。
日本の気候はソウルに比べるとまるで春のようで、耳をつんざく厳しい寒さではなく、ぴりっと精神を引き締めてくれるすがすがしささえ感じる空気。私にはコレが限界だなぁ。
タイ、カンボジア、フィジー、ソウルと4カ国もぐるぐる回った旅はここで終わり。
なんでこんなルート取ったんでしょうね(笑)
今回の旅ではいろんな面でアジアと南太平洋のギャップを感じたが、一番不可思議だったのはフィジアンが敬虔なクリスチャンであること。
「クリスマスは何をしていたの?」ってまじめに聞かれても、こまったなぁ。