スバのドミトリー。普段とは毛色の違う旅人に振り回される。
【スバで泊まったドミトリーの部屋。普段は個室を選ぶけど誘われて泊まってみた】
ナナヌイラで二泊した後、クリスティことKさんと一緒に島をでることにした。
ナナヌイラは悪くはないけどよくもない島で、二日いれば充分かなっていう気がしたのだ。
風がゴーゴー強すぎてのんびりできないんですもん。
行きと同様、コンティキの送迎ボートに乗りビジレブ島に戻ると、 客待ちをしていたタクシーでラキラキの町へ。
タクシー代は、ボートに同乗していたカップルと4人で頭割りした。
1台10ドル。ってことは、1人2.5ドル。つまり、行きのタクシーぼってなかったんだなぁ。 ちょっと悪いことしたかも。
クリスティ、アイス買い食い
ビジレブ島をラウトカから北東へぐるっと時計回りにスバまで走る道をキングスロードと言う。
ラキラキはそのキングスロードのちょうど中間地点に当たるわけだけど、今回乗ったラキラキ-スバ間は、まだまだ舗装が進んでいない田舎道で、バスは上下に揺さぶられながら、狭いダートを走り抜けていく。
この間、およそ3時間。町という物はついぞ現れず。たまーに村とでもいうのか民家が数件、そして子供がわーーっと水遊びをしていたりして、「お、人すんでんのか」と少し驚く。
首都スバに着くと、Kさんと二人宿を求めて町を歩き出した。
スバは大きなビルこそないが、小綺麗にまとまった小さな町だった。 店舗の看板は全て英語表示。△屋根の西洋式の建物に教会。 町のどこを見ても、今日走ったキングスロードにあったようなフィジアンの生活感がない。 フィジーらしらは何にも感じられず、この町はイギリス植民地時代にイギリス人が作ったものだと一目見てわかる。
フィッシュアンドチップス
Kさんに尋ねてみると、彼女は「あ、そうね。ニュージーランドはこんなだったよ」とあっさり。
やっぱりな。ニュージーランドもオーストラリアもイギリスが入ったとこだもん。
イギリス人旅行者は世界中の植民地をどういう気持ちで眺めているんだろうか。フィジーは今植民地ではないけども。
変な気分を押さえながら、Kさんと二人宿探しを続けた。
フィジーはイギリスの影響か、はたまた近隣のオーストラリア等の支援でもあるのか、インフラは割と整っておりそのお陰で結構宿が高い。
例えば、昨晩まで泊まったコンティキだって、風力発電とはいえ一日中電気が使えた。宿泊費も日本のキャンプ場並。 そして、首都のスバともなると個室は2,3千円を超えるのは当たり前で、出費を抑えようとするとドミトリーになる。
しかし、そのドミトリーが清潔でお湯はふんだんにでるし、簡単なキッチンもついていて住み着いている人までいる。
人生に疲れた風のさまよえる西洋人じいさんや出稼ぎ労働者らしきフィジアンがそれだ。
欧米や日本のユースホステルの感覚で訪れる旅行者、カプセルホテルの様な感覚で一時的な宿泊所にするローカルのおじさん。 そして、何をするでもなく、ただそこで生活している西洋人の老人。
一泊F$9のその部屋は、アジアの安宿で見かける沈没者とはまた違った人種のたまり場になっていた。
さて、その"少し違う人種のたまり場"になっていたドミですが、旅行者の中にも我々と少し違った感覚の人がいた。
オーストラリアからやってきたSくんがそれ。私は普通に旅先で会った旅人の1人として、彼と話をしていた。
いつオーストラリアから出てきて、フィジーにはどれくらいいて、どこを回る。そう言った旅人のたわいない話だ。
話しているうちに彼はオーストラリア人だが、インド人とドイツ人のハーフだということがわかった。
もともとインド国籍を持っていた彼は、すごく勉強家で国費でオーストラリアに留学、そのままオーストラリアで就職。
そして、オーストラリアに帰化したとこういう訳。つまり根っこの部分はほとんどインド人である。
彼は1ヶ月のクリスマス休暇を利用してフィジーにやってきたそうだが、旅慣れていない上に人慣れていなかった。
そこでたまたま出会ったのが日本人旅行者の私で、しかも私はインドに何回も行ったことがあり、割と興味を持っている。
今回の旅行ではイギリス植民地時代に流れてきたインド人がどんな生活をしているのかとか、やっぱりインド映画は本国と同じくらいにタイムリーにやっているのかとか、はたまた知人に頼まれたインド人アーティストのCDを探していたりとか、思えば、普通のフィジー旅行者とは少し違ったのかもしれない。
私は「たまたま知り合ったのがインド系の人とは奇遇だな」と思っていただけだが、いつの間にか彼の方は暴走していた。
キングスロードを走るバス
「ホントに?オーストラリアじゃ誘ってもみんな断られるのに・・・」
今思えば、彼のこの発言の意味に早く気がつくべきだった。そう言えば、あのときKさんも引いてたしなぁ。
大学で物理を専攻していて、哲学に興味があって、学生時代は勉強ばかりで女っ気一つ無い上に、インドに住んでいた両親は亡くなり、オーストラリアには友達がおらず、毎日9時から15時まで仕事場の小学校で子供の相手をするだけ。そして、デートの誘いは断られまくりなんだそうだ。
ごめん。断る気持ちちょっとだけわかった。だって、いきなり「哲学に興味ある?」ですよ。
興味ないわ、そんなもん。っつーか、フィジーに来る旅人ってたいていリラックスしにくるのが目的なのだが。
日本語ですら理解できないことを英語で語られても困るのである。
翌日、自分で探そうと思っていた友人に頼まれたCDを私が寝ている間に探し出してきてプレゼントされたり、
マクドナルドで朝食をテイクアウトしてきてくれたり、大きなお世話なことをしてくれた。
私はスバの町を自分で歩き、店員と会話しながら、自分でCDを探しだしたかった。
フィジーに来てまで、朝食にマクドナルドをチョイスするつもりはなかった。
きっぱりとはっきりと意志を伝えられない私も悪いが、まあ、もう会うこともない。・・・と思っていたのだけどもね。
スバの周りを散歩したときの写真いろいろ
I バスに乗ってお出かけします。
【派手な衣装の運ちゃん】
【降車を知らせるベル】
II フィジー唯一の大学 サウスパシフィック大学
【左から、サウスパシフィック大学正門、校舎など。】
【庭、防空壕、案内してくれた警備員のおじさん】
冬休み中で本当は観光客をいれてはいけなかったそうですが、「海外の大学が見たくてわざわざ来たんですよねぇ」とかぶつぶつ言っていたら入れてくれた。案内(監視)付きでキャンパス中を見せて貰いました。
やはり、工学部などの機材が必要な学部なるほど校舎がすみっこでみすぼらしかったのが印象的。
III スバ近郊の様子(町は西洋風ですが、写真ありません)
【団地のような集合住宅、カラオケ、郵便ポスト】
さすがに首都だけあり、町からバスで10分くらいの近郊の地に団地がだーーーっと並んでいた。人口が集中するんでしょうね~。反面、一戸建ての豪邸もちらほら。
IV 宗教関係いろいろ
中華系の運営する教会とモスク。フィジーでは結構ムスリムらしき子供達が通う学校などを見かけた。
インド系にムスリムが多いのかも知れません。フィジアンが通う教会やヒンドゥ寺院は多いので写真をとりませんでした。割愛。