路線バスは、貨物バス。運ぶのは人だけじゃなく荷物も一緒。
ラーショーに1泊滞在し、マンダレーから列車で一気につっぱしった道を今度はバスで逆行する。
今度の目的地はシャン王国縁の町、シーポーだ。
シーポーまではバスでほんの1,2時間。
ラーショーは半日散歩すれば充分の規模だから、午後に町を出ても明るい時間にたどり着ける。
宿情報を見る限り、ゲストハウスしかないあたりラーショーよりはだいぶ田舎町だと推測される。
ラーショー観光を一通り終えた後、シーポー行きのバスに乗るべく、その辺で待機していた乗り合いトラックに乗り込み、バスターミナルへ向かった。
ターミナルではめざとく客引きがわーーっと群がってきたが、客引きなんだか親切な人なんだかわからない。
「もっと早くここを出るバスに乗りたい」とか言うと、あっさりと他のバスを案内してくれる。
「うちの会社の方が乗り心地がいい!」とか嘘でもなんでも言えばいいのに、そういうずる賢さが全くないのです。
結局、1時間後に出発するチケットを購入し、そのままあたりを散策して過ごした。
そして、1時間後、やってきたのは韓国製の中古バスだった。
ミャンマーの道路は韓国と同じで右側通行。
客の乗降が頻繁にあるヤンゴンの町を走り回る路線バスに日本製の中古バスを使っている場合、 車体を改造して乗降扉を右に付け替えていたが、これが韓国製の場合はそういった手を加える必用がない。
しかし、実際に乗ってみると、扉以外にもミャンマー仕様に改造されていた。
きっと乗り心地が良かったであろう座席は全てとっぱらわれ、座席は妙に高くて足が届かない。
「ミャンマー人って、足が長いの?」と思うなかれ。
実は、ミャンマーの長距離バスは荷物の運搬用にも流用されており、座席の下も足下も荷物が収容される。
日本や韓国でバスの座席の下に荷物を突っ込むことは想定していない。
荷物運搬用には貨物室を作ったり、トラックを利用するからだ。
しかし、ここではクッションの効いたふわふわの椅子も無用の長物。
重くて大きくて荷物の収納に邪魔な椅子は外してしまう。
どうせ隣町に行くのだから運べるものは一緒に運ぶ。
バスも運送業を兼業している。
とまあ、おそらくこういう訳だと思う。
ちなみに、荷物の収容は足下だけで足りないようで、バスの最後尾は座席を設けず、そこにしっかりと米袋の山がある。
乗客の持ち込んだ大きな荷物はさらにその米袋の上に積まれ、ブレーキと同時に雪崩がおきて、後頭部を直撃!なんてこと珍しくなかったです(笑)
ところでこのバスの旅。さぞかし大変だっただろうと思うでしょう。実は意外と快適でした。
というのも、ラーショー-マンダレー間は道路がびしーーっと舗装され、しかも有料道路まであり、すーいすいとバスが進んでいく。
おまけに韓国製のこのバスは割と馬力があるようで、尋常でない積載量の荷物にもびくともせずにかなりのスピードで走っていけるんですね。
「おお、やるじゃん、やるじゃん。あの列車の旅は一体なんだったんだ?」
と言いたくなるくらい、復路は大変スムーズに行きそう・・・だったんだけどね。ここまでは。
中国国境に近かったから国境貿易で栄えていた街だったのでこうだっただけだと知ったのはだいぶ後のお話。
マンダレーからバガンにいくために乗ったバスも、さらにバガンからヤンゴンまでもきつかった。
ミャンマーのバスは外見は日本製や韓国製なのだが、ミャンマー仕様に改造してある。
その仕事が日本の職人のような仕上がりにはとうてい至らず、素人仕事に近くて、日本人の感覚だとかなり雑。
この時乗ったバスは車内に並べられた木製のいすはなぜか床に固定はされておいらず、いすの側面を細長い鉄板でつなげてあった。
床には固定されていないため、走行中の振動があるたびにいすは飛び上がってしまう。
マンダレー近郊はさすがに道路が整っていたものの、すぐに舗装がなくなり道路状況は悪化。
しかも、その悪路もがくんがくんと左右に身体が振られ、首を痛めてしまいそう。
さらに、運悪く、その激しい振動で、私の座っている座席の側面に打ち付けてあった板の釘がシートからはずれてしまったのですね。
つまりその鉄板は前の席と後の席をつないでいるけど、私の座席は釘がはずれて遊んでいる状態。
バスががくんがくんと揺れるたびに、その鉄板と椅子の背の隙間に私の腕の肉が挟まってしまい、「イタッ」「イテッ」「イタイ」って泣きそうだった。
町に着くたび「バガンかな?」「もう着いたかな」「え~、やっぱりまだか・・・」と浮き沈みながらのバスの旅。 バガンに着いた時は、ほんっと嬉しかったですよ~。
ミャンマーのバスは運がよければそこそこ快適なのに当たりますが、
場合によってはとんでもないのが回ってくることもある。
このたびでは1勝2敗でした。バガンも観光地なのでそのうち道路はよくなるかもしれません。
今度の目的地はシャン王国縁の町、シーポーだ。
シーポーまではバスでほんの1,2時間。
ラーショーは半日散歩すれば充分の規模だから、午後に町を出ても明るい時間にたどり着ける。
宿情報を見る限り、ゲストハウスしかないあたりラーショーよりはだいぶ田舎町だと推測される。
ラーショー観光を一通り終えた後、シーポー行きのバスに乗るべく、その辺で待機していた乗り合いトラックに乗り込み、バスターミナルへ向かった。
ターミナルではめざとく客引きがわーーっと群がってきたが、客引きなんだか親切な人なんだかわからない。
「もっと早くここを出るバスに乗りたい」とか言うと、あっさりと他のバスを案内してくれる。
「うちの会社の方が乗り心地がいい!」とか嘘でもなんでも言えばいいのに、そういうずる賢さが全くないのです。
そして、1時間後、やってきたのは韓国製の中古バスだった。
ミャンマーの道路は韓国と同じで右側通行。
客の乗降が頻繁にあるヤンゴンの町を走り回る路線バスに日本製の中古バスを使っている場合、 車体を改造して乗降扉を右に付け替えていたが、これが韓国製の場合はそういった手を加える必用がない。
しかし、実際に乗ってみると、扉以外にもミャンマー仕様に改造されていた。
きっと乗り心地が良かったであろう座席は全てとっぱらわれ、座席は妙に高くて足が届かない。
「ミャンマー人って、足が長いの?」と思うなかれ。
実は、ミャンマーの長距離バスは荷物の運搬用にも流用されており、座席の下も足下も荷物が収容される。
荷物運搬用には貨物室を作ったり、トラックを利用するからだ。
しかし、ここではクッションの効いたふわふわの椅子も無用の長物。
重くて大きくて荷物の収納に邪魔な椅子は外してしまう。
どうせ隣町に行くのだから運べるものは一緒に運ぶ。
バスも運送業を兼業している。
とまあ、おそらくこういう訳だと思う。
ちなみに、荷物の収容は足下だけで足りないようで、バスの最後尾は座席を設けず、そこにしっかりと米袋の山がある。
乗客の持ち込んだ大きな荷物はさらにその米袋の上に積まれ、ブレーキと同時に雪崩がおきて、後頭部を直撃!なんてこと珍しくなかったです(笑)
ところでこのバスの旅。さぞかし大変だっただろうと思うでしょう。実は意外と快適でした。
というのも、ラーショー-マンダレー間は道路がびしーーっと舗装され、しかも有料道路まであり、すーいすいとバスが進んでいく。
おまけに韓国製のこのバスは割と馬力があるようで、尋常でない積載量の荷物にもびくともせずにかなりのスピードで走っていけるんですね。
「おお、やるじゃん、やるじゃん。あの列車の旅は一体なんだったんだ?」
と言いたくなるくらい、復路は大変スムーズに行きそう・・・だったんだけどね。ここまでは。
中国国境に近かったから国境貿易で栄えていた街だったのでこうだっただけだと知ったのはだいぶ後のお話。
マンダレーからバガンにいくために乗ったバスも、さらにバガンからヤンゴンまでもきつかった。
ミャンマーのバスは外見は日本製や韓国製なのだが、ミャンマー仕様に改造してある。
その仕事が日本の職人のような仕上がりにはとうてい至らず、素人仕事に近くて、日本人の感覚だとかなり雑。
この時乗ったバスは車内に並べられた木製のいすはなぜか床に固定はされておいらず、いすの側面を細長い鉄板でつなげてあった。
床には固定されていないため、走行中の振動があるたびにいすは飛び上がってしまう。
マンダレー近郊はさすがに道路が整っていたものの、すぐに舗装がなくなり道路状況は悪化。
しかも、その悪路もがくんがくんと左右に身体が振られ、首を痛めてしまいそう。
さらに、運悪く、その激しい振動で、私の座っている座席の側面に打ち付けてあった板の釘がシートからはずれてしまったのですね。
つまりその鉄板は前の席と後の席をつないでいるけど、私の座席は釘がはずれて遊んでいる状態。
バスががくんがくんと揺れるたびに、その鉄板と椅子の背の隙間に私の腕の肉が挟まってしまい、「イタッ」「イテッ」「イタイ」って泣きそうだった。
町に着くたび「バガンかな?」「もう着いたかな」「え~、やっぱりまだか・・・」と浮き沈みながらのバスの旅。 バガンに着いた時は、ほんっと嬉しかったですよ~。
ミャンマーのバスは運がよければそこそこ快適なのに当たりますが、
場合によってはとんでもないのが回ってくることもある。
このたびでは1勝2敗でした。バガンも観光地なのでそのうち道路はよくなるかもしれません。