プノンペン市内巡りのあれこれ。観光と土産物あさり。
シェムリアップからのスピードボートを下船した後、市内までの交通手段に利用したバイクタクシー。
そのタクシーの客引きに根負けし、1日$5で雇うことにした。
アンコールワット遺跡観光よりもプノンペンの市内観光の方がちょこちょことバイクを走らせるため1日あたりの走行距離は長くなるのだが、プノンペン市内の方が相場が安い。さらに観光地ではないのでドライバーもあまりふっかけて来ないようで、値切ればあっさりそれに応じた。
約束の朝の8時に宿を出ると時間通りにきっちり待っているドライバーの姿が。
この旅を通してずっと感じていたことだが、カンボジアの人はまじめで働きモノという印象だ。
時間通りにきちんとやってくるし、値段交渉で成立した金額を後になってつり上げるようなことをしない。
一番楽だったのは、客である私の意志をきちんと尊重してくれることだ。
行き先を言えばいちいち口を出さずに忠実に守ってくれるのが気楽だった。
「そうじゃなくてこういうルートで回る方が効率がいい」とか、「ここがおもしろいから絶対行くべきだ」とかいちいちドライバーに指図されるのはうっとおしいじゃないですか。効率悪かろうと自分が回りたい順番ってあったりするんですよ。
カンボジアのことなどほとんど知らずに旅していたがものすごく好感度がアップした。
観光に回ったコースを順繰りに紹介すると、最初にプノンペン市内郊外にあるキリングフィールドへ。
施設の名称を読んだだけで察する方も多いと思いますが、ここはポル・ポト派が罪のない人々を大量虐殺した場所。 処刑された場所が当時のままに残されていて、見物するという行為自体に申し訳なさを感じる。
真ん中にそびえ立つ慰霊塔には、ガラスケースにおびただしい数の頭蓋骨が積み上げられている。その数、8985個。これらは、ここ周辺で惨殺され埋められてた人々のもので、掘り起こして慰霊塔に納められた。
シェムリアプにもここほど大きくはないが、同じ様な慰霊塔があった。
寺の中に納められたその小さな慰霊塔の前にバイクを止めると、お調子者のドライバーですら脱帽し、表情を堅くしたのが印象的だった。 彼らも内戦で肉親や友人を亡くしたのかもしれない。
バッタンバンへ行ったA氏によるとやっぱり、バッタンバンにも同じような虐殺場跡があったという。
ポルポト派とか内戦とか。ニュース映像の一コマにしかすぎなかった出来事が、現地に来るとずかっと心にのしかかる。
子供の頃、千鳥ヶ淵に連れて行かれるのめんどくさかったんだけど、今になると恥ずかしいくらいです。
続いてトゥルースレン博物館。
ここは元々高校の校舎だったのだが、ポル・ポト時代は刑務所として使われており、それが当時のままに保存されている。コンセプトは、広島の原爆資料館やポーランドのアウシュヴィッツと同じだろう。過ちを忘れないために、負の遺産をあえて残してあるのだ。
拷問室の鎖、ベッドの足から伸びた鉄の足かせ、血のこびりついた枕。壁には当時の写真か、はたまた絵なのか、鎖につながれた人がベッドに横たえられていた。
壁中に処刑を待つ人々の顔写真が埋め尽くされた部屋、煉瓦で細かく仕切られた狭い独房。処刑や拷問に使われた器具や処刑後の遺体の写真も展示されている。それら1つ1つは、展示のために再現したものではなく、本物である。
さらにあらゆる拷問道具の横に、拷問の様子を再現したイラストは色も鮮明でかなり衝撃的。
しかし、処刑を待つ人々の写真がずらりと貼られた壁に一言「写真にらくがきすんな」って・・・するか!って思うけど、する人がいるんだろうなぁ・・・。
ガラッと雰囲気が変わって、次は王宮とシルバーパコダ。 王宮は日本の皇居と同じで今も使われているので、観光客が見れるところは限られている。即位殿とナポレオン三世の館くらい。しかも、さらに内部撮影は禁止なのにカメラ撮影料を$2も取るのがボッタクリとしか思えない。
見た目は東南アジアのきんきらテイストで今まで見たカンボジアの町の中でここだけ別世界でした。
王宮に隣接したシルバーパコダも内部の床が銀のタイル張り。しかもその数5000枚。
これまで床を大理石にしている寺院や王宮を見たことは沢山あるが、銀の床っていうのはなかなかないと思う。
今回の旅行ではめちゃくちゃに破壊されたものばかり見て来たため、このあまりに異質な空間が不思議でしょうがなかったが、なんと、ポル・ポト派がカンボジアの文化遺産を破壊していないことを海外にアピールするため、ここだけは手をつけなかったのだとか。ひどい話ですね。
ところで、この日、私は自分でバイクタクシーで市内観光をしていたが、T氏は旅行会社の市内観光ツアーを利用していた。
このツアーはプノンペンの有名安宿キャピトルホテルにある旅行会社で扱っており、値段は1日$5(入場料別)。バイクタクシーと同じ値段である。
さすがに車を使うので4人以上人が集まらないと催行されないし、見学の時間も決められてしまうのが面倒ではある。
でも、少人数のツアーなので、参加者と気が合えばわがままも言えるし楽しいかもしれない。
このツアーはちょうど私と逆のルートで見学していたらしく、王宮でT氏とばったり会ってしまった。
西洋人のカップルと3人だったのが午後は彼らがキャンセルしたため、車を貸し切りになったそう。
私の方は、長い昼休みをはさみ(公共施設は昼休みの時間設定が長い。)、午後から国立博物館、ワット・プノンと見学を続ける。
そして、そこで夕方になってしまい、マーケットなどは店じまいの時間で見学できなかった。
バイクタクシーとの契約の時間はまだ残っているので、最後はバイクでぐるりと走れる場所へ。
「じゃあ、チョロイチョンワー(カンボジア-日本友好橋)に行って!」「お!そこなら知ってる。いいよ。」
トレンサップ川にかかる大きな橋、チョロイチョンワー橋は、一昔前、ポル・ポト派によって爆破されてしまった。
それを日本の援助により再建築し、その後名前を「カンボジア日本友好橋」と改めた。
でも、そんなこと日本人である私も知らなかったし、現地の人にも浸透していないようだった。
最近ではJACAもODAをするとき、日本の援助だということを知らしめる努力をしているようだが、 我々の税金を使っているのだから、それは是非やっておいてもらいたいものです。
橋を渡るとぐるりと戻って、締めくくりに独立記念塔。 ぐるぐると二周回って観光ツアーを終えました。
バイクタクシーを使ったら、1日でかなりの数の観光地を回れてしまった。普段の旅は1日に1カ所いけばいい方なのに。
そのタクシーの客引きに根負けし、1日$5で雇うことにした。
アンコールワット遺跡観光よりもプノンペンの市内観光の方がちょこちょことバイクを走らせるため1日あたりの走行距離は長くなるのだが、プノンペン市内の方が相場が安い。さらに観光地ではないのでドライバーもあまりふっかけて来ないようで、値切ればあっさりそれに応じた。
約束の朝の8時に宿を出ると時間通りにきっちり待っているドライバーの姿が。
この旅を通してずっと感じていたことだが、カンボジアの人はまじめで働きモノという印象だ。
時間通りにきちんとやってくるし、値段交渉で成立した金額を後になってつり上げるようなことをしない。
一番楽だったのは、客である私の意志をきちんと尊重してくれることだ。
行き先を言えばいちいち口を出さずに忠実に守ってくれるのが気楽だった。
「そうじゃなくてこういうルートで回る方が効率がいい」とか、「ここがおもしろいから絶対行くべきだ」とかいちいちドライバーに指図されるのはうっとおしいじゃないですか。効率悪かろうと自分が回りたい順番ってあったりするんですよ。
カンボジアのことなどほとんど知らずに旅していたがものすごく好感度がアップした。
観光に回ったコースを順繰りに紹介すると、最初にプノンペン市内郊外にあるキリングフィールドへ。
施設の名称を読んだだけで察する方も多いと思いますが、ここはポル・ポト派が罪のない人々を大量虐殺した場所。 処刑された場所が当時のままに残されていて、見物するという行為自体に申し訳なさを感じる。
真ん中にそびえ立つ慰霊塔には、ガラスケースにおびただしい数の頭蓋骨が積み上げられている。その数、8985個。これらは、ここ周辺で惨殺され埋められてた人々のもので、掘り起こして慰霊塔に納められた。
シェムリアプにもここほど大きくはないが、同じ様な慰霊塔があった。
寺の中に納められたその小さな慰霊塔の前にバイクを止めると、お調子者のドライバーですら脱帽し、表情を堅くしたのが印象的だった。 彼らも内戦で肉親や友人を亡くしたのかもしれない。
バッタンバンへ行ったA氏によるとやっぱり、バッタンバンにも同じような虐殺場跡があったという。
ポルポト派とか内戦とか。ニュース映像の一コマにしかすぎなかった出来事が、現地に来るとずかっと心にのしかかる。
子供の頃、千鳥ヶ淵に連れて行かれるのめんどくさかったんだけど、今になると恥ずかしいくらいです。
続いてトゥルースレン博物館。
ここは元々高校の校舎だったのだが、ポル・ポト時代は刑務所として使われており、それが当時のままに保存されている。コンセプトは、広島の原爆資料館やポーランドのアウシュヴィッツと同じだろう。過ちを忘れないために、負の遺産をあえて残してあるのだ。
拷問室の鎖、ベッドの足から伸びた鉄の足かせ、血のこびりついた枕。壁には当時の写真か、はたまた絵なのか、鎖につながれた人がベッドに横たえられていた。
壁中に処刑を待つ人々の顔写真が埋め尽くされた部屋、煉瓦で細かく仕切られた狭い独房。処刑や拷問に使われた器具や処刑後の遺体の写真も展示されている。それら1つ1つは、展示のために再現したものではなく、本物である。
さらにあらゆる拷問道具の横に、拷問の様子を再現したイラストは色も鮮明でかなり衝撃的。
しかし、処刑を待つ人々の写真がずらりと貼られた壁に一言「写真にらくがきすんな」って・・・するか!って思うけど、する人がいるんだろうなぁ・・・。
ガラッと雰囲気が変わって、次は王宮とシルバーパコダ。 王宮は日本の皇居と同じで今も使われているので、観光客が見れるところは限られている。即位殿とナポレオン三世の館くらい。しかも、さらに内部撮影は禁止なのにカメラ撮影料を$2も取るのがボッタクリとしか思えない。
見た目は東南アジアのきんきらテイストで今まで見たカンボジアの町の中でここだけ別世界でした。
王宮に隣接したシルバーパコダも内部の床が銀のタイル張り。しかもその数5000枚。
これまで床を大理石にしている寺院や王宮を見たことは沢山あるが、銀の床っていうのはなかなかないと思う。
今回の旅行ではめちゃくちゃに破壊されたものばかり見て来たため、このあまりに異質な空間が不思議でしょうがなかったが、なんと、ポル・ポト派がカンボジアの文化遺産を破壊していないことを海外にアピールするため、ここだけは手をつけなかったのだとか。ひどい話ですね。
ところで、この日、私は自分でバイクタクシーで市内観光をしていたが、T氏は旅行会社の市内観光ツアーを利用していた。
このツアーはプノンペンの有名安宿キャピトルホテルにある旅行会社で扱っており、値段は1日$5(入場料別)。バイクタクシーと同じ値段である。
さすがに車を使うので4人以上人が集まらないと催行されないし、見学の時間も決められてしまうのが面倒ではある。
でも、少人数のツアーなので、参加者と気が合えばわがままも言えるし楽しいかもしれない。
このツアーはちょうど私と逆のルートで見学していたらしく、王宮でT氏とばったり会ってしまった。
西洋人のカップルと3人だったのが午後は彼らがキャンセルしたため、車を貸し切りになったそう。
私の方は、長い昼休みをはさみ(公共施設は昼休みの時間設定が長い。)、午後から国立博物館、ワット・プノンと見学を続ける。
そして、そこで夕方になってしまい、マーケットなどは店じまいの時間で見学できなかった。
バイクタクシーとの契約の時間はまだ残っているので、最後はバイクでぐるりと走れる場所へ。
「じゃあ、チョロイチョンワー(カンボジア-日本友好橋)に行って!」「お!そこなら知ってる。いいよ。」
トレンサップ川にかかる大きな橋、チョロイチョンワー橋は、一昔前、ポル・ポト派によって爆破されてしまった。
それを日本の援助により再建築し、その後名前を「カンボジア日本友好橋」と改めた。
でも、そんなこと日本人である私も知らなかったし、現地の人にも浸透していないようだった。
最近ではJACAもODAをするとき、日本の援助だということを知らしめる努力をしているようだが、 我々の税金を使っているのだから、それは是非やっておいてもらいたいものです。
橋を渡るとぐるりと戻って、締めくくりに独立記念塔。 ぐるぐると二周回って観光ツアーを終えました。
バイクタクシーを使ったら、1日でかなりの数の観光地を回れてしまった。普段の旅は1日に1カ所いけばいい方なのに。
カンボジア最後に市内をお散歩。
バイクタクシーで郊外の観光地を巡った翌日は、T氏とともに徒歩で回れる範囲を歩いて回ることにした。
まずはセントラルマーケットへ。
その名の通りプノンペン市内の中央に位置するこのマーケットは、ドーム型の建物の中に怪しげな土産物屋や宝石屋が整然と並んでいる。昔はこの宝石の中にはお値打ちモノが混じっていて日本に持って帰ったら100倍で売れたりしたそうだ。
宝石に興味もなければ見る目もない私はもちろん手を出さなかったのだが、後日聞いたところによると、シェムリアップで分かれたSさんは、ここでルビーと言われた宝石を買ったそうだ。
店員はMade in JAPANと書かれた「宝石探知器」と称するライトを出してきて、
「この光を当てると偽物はガラス玉だから色が変わるんだ。勿論、本物は変化しない。」とかいう。
何の疑いもなく本物と言われた石を購入したが、やっぱり偽物。ガラス玉だったそう。家族には宝石は日本で買ってくれ!と言われたそうだ。
色の変わった方が、本物のアレクサンドライトだったなんて真相が隠されていたらおもしろいのだが・・・。
もし今度そういうのがあったら「偽物でいいから安く売ってよ。」って言ってみよう。店員の反応が見たい。
このマーケットは立地が良く外国人観光客がたくさんやってくるので、土産屋はかなりふっかける上に無愛想だ。
でも、日用雑貨屋さんなど観光客にはあまり関係のない店では全く対応が異なる。
「もうちょっと負けて欲しいなぁっ。もうカンボジアのお金がほとんどないんだよね・・・」
「うーん。$4が仕入れ値なんだよ。ぎりぎりで$4と2000リエルっていうのでどう?それ以上は無理だなぁ。」
なんてぎりぎりのところまで値段を下げてくれたりする。
こうやってお願いしまくって手に入れたのはベトナム式のコーヒーフィルター。 よくベトナムに売っている薄っぺらいアルミ製のではなくて、ステンレスのしっかりしたヤツで中国製だった。今は家で活躍しております。
そして、市場巡りで疲れたところでサトウキビジュースで一休み。 前にインドで飲んだときは青臭かったんだけど、ここでは氷でキンキンに冷やした上にライムを多めに搾っていることで、青臭さが消えていた。 糖分と水分を同時に補給できて味もなかなかで、美味しかったです。
ところで、前日の晩御飯は日本料理屋。
日本料理が恋しかったワケではなく、海外の日本料理屋はどんなものかを試しに行ったのである。
こういった料理屋のお客はプノンペンに駐在している日本人が主で、次に現地のお金持ち。さらにその後が観光客です。
手に入る食材も違うんだし、日本と同じレベルの味を求めてはいけないところがあります。
むしろ、料理は二番目以降の目的で、日本の情報に飢えているときに来ると非常に価値が高い。
日本の新聞の衛生版や雑誌、駐在員向けの日本語情報誌などが常備されているのですが、情報誌などはガイドブックより最新でレアな情報が載っていることもしばしば。
ちょうどカンボジア特集をしているタイの日本語情報誌が置いてあり、それを使って観光をしてみたのだ。
輸入書専門店MonumentBooksとクメール焼きの店SHI・RO-へ。
モニュメントブックスはガイドブックにも載っているが、この頃のプノンペンのガイドブックはことごとく掲載店が閉店していたり,移転していたので使い勝手が悪かった。(おそらく他の国に比べて取材頻度が低い。) 現地邦人向けの情報誌は月刊だったりするので、断然情報が新しいのだ。
クメール焼きのシローは、プノンペン在住の日本人アーティストシロウさんが開いているギャラリー。
プノンペンの大学で講師をする傍らショップを出しているとのことで、シロウさんがいらっしゃらないときは開いていない。 私らはちょうど昼時についてしまったため、見事に閉まっていた。
今でもあるかどうかは不明だが、クメール焼き自体が珍しいらしいので、覗いてみるのもいいかも。
フランスパンにアイスを挟んでくれる。
その後、プノンペン市内の土産物屋やNGOショップを歩いて回ったが、たいした収穫はないので割愛。
最後に、偶然見つけたシンガポーリアン経営の土産物屋珠山精品へ。
香港、台湾、シンガポール、韓国、日本などのツアー客をバスで連れてきたりするらしいが、やはり中華系が多いようだ。
私らが行ったときはちょうど台湾の団体様に出くわした
日本語が多少できる店員さんがついてきたので冷やかし半分で色々と質問責めしたり、お茶をもらってカンボジアのお菓子を試食したり、完璧くつろいでいた。
ちょっぴりだけ買い物して、さらに帰る間際にもういっぱいお茶を要求したりしたのだが、おねぇさんはイヤな顔ひとつせず快くお茶を入れてくれ、買わないくせに試食用のドライフルーツをまた開けてくれ・・・この時点で我々はすでにお客ではなくなっていた。
他にお客もいないし店員のおねえさんもVCDデッキの中から売り物のアンコールワットのビデオを取り出し、カンボジアの音楽VCDに取り替えた。
さらにお茶のお代わりを頂き、そのまま一緒にVCD鑑賞などしていた。
カンボジアの音楽VCDはまず、歌入り、続いてその曲のカラオケという順番で数種類の曲が収録されている。
1曲目はタイタニック!セリーヌディオンのあのテーマ曲のクメール語バージョンである。
歌詞の内容はディカプリオのタイタニックと全く同じだったが、映像はあの豪華客船とは似てもにつかないクルーザー(っつーか、あれはトンレサップ川のスピードボートかも(笑))。
金持ちのお嬢さんがさえないカンボジア青年と出会い、婚約者の目をかすめて会いに行っちゃったり (突然婚約者が消えたために、男は船中を探しまくっていたが、見つからないほど大きな船じゃないぞ!)、船の先端であの鳥の様なポーズしたり、肖像画かいたり、一緒に踊ったり、(チョー小規模なんだけども)完全にパクリだった。
思わず笑ってしまったが、店員のおねえさんたちは大合唱。とてもヒットしたみたい。
ちなみに歌手はカンボジアのトップ女優で、「カンボジアで一番美人」だそうだが、数年前に強盗に入られ34歳の若さでなくなったそう。
ツアーの観光客向けのおみやげ物やなのだが、我々が時間のある個人旅行者で、しかも相手が人のいいカンボジア人だったから、冷房の効いた場所で楽しく遊ばせてもらっちゃった。
バンコク駐在員向け情報誌!かなりヒット!でした。
まずはセントラルマーケットへ。
その名の通りプノンペン市内の中央に位置するこのマーケットは、ドーム型の建物の中に怪しげな土産物屋や宝石屋が整然と並んでいる。昔はこの宝石の中にはお値打ちモノが混じっていて日本に持って帰ったら100倍で売れたりしたそうだ。
宝石に興味もなければ見る目もない私はもちろん手を出さなかったのだが、後日聞いたところによると、シェムリアップで分かれたSさんは、ここでルビーと言われた宝石を買ったそうだ。
店員はMade in JAPANと書かれた「宝石探知器」と称するライトを出してきて、
「この光を当てると偽物はガラス玉だから色が変わるんだ。勿論、本物は変化しない。」とかいう。
何の疑いもなく本物と言われた石を購入したが、やっぱり偽物。ガラス玉だったそう。家族には宝石は日本で買ってくれ!と言われたそうだ。
色の変わった方が、本物のアレクサンドライトだったなんて真相が隠されていたらおもしろいのだが・・・。
もし今度そういうのがあったら「偽物でいいから安く売ってよ。」って言ってみよう。店員の反応が見たい。
でも、日用雑貨屋さんなど観光客にはあまり関係のない店では全く対応が異なる。
「もうちょっと負けて欲しいなぁっ。もうカンボジアのお金がほとんどないんだよね・・・」
「うーん。$4が仕入れ値なんだよ。ぎりぎりで$4と2000リエルっていうのでどう?それ以上は無理だなぁ。」
なんてぎりぎりのところまで値段を下げてくれたりする。
こうやってお願いしまくって手に入れたのはベトナム式のコーヒーフィルター。 よくベトナムに売っている薄っぺらいアルミ製のではなくて、ステンレスのしっかりしたヤツで中国製だった。今は家で活躍しております。
そして、市場巡りで疲れたところでサトウキビジュースで一休み。 前にインドで飲んだときは青臭かったんだけど、ここでは氷でキンキンに冷やした上にライムを多めに搾っていることで、青臭さが消えていた。 糖分と水分を同時に補給できて味もなかなかで、美味しかったです。
ところで、前日の晩御飯は日本料理屋。
日本料理が恋しかったワケではなく、海外の日本料理屋はどんなものかを試しに行ったのである。
こういった料理屋のお客はプノンペンに駐在している日本人が主で、次に現地のお金持ち。さらにその後が観光客です。
手に入る食材も違うんだし、日本と同じレベルの味を求めてはいけないところがあります。
むしろ、料理は二番目以降の目的で、日本の情報に飢えているときに来ると非常に価値が高い。
日本の新聞の衛生版や雑誌、駐在員向けの日本語情報誌などが常備されているのですが、情報誌などはガイドブックより最新でレアな情報が載っていることもしばしば。
ちょうどカンボジア特集をしているタイの日本語情報誌が置いてあり、それを使って観光をしてみたのだ。
輸入書専門店MonumentBooksとクメール焼きの店SHI・RO-へ。
モニュメントブックスはガイドブックにも載っているが、この頃のプノンペンのガイドブックはことごとく掲載店が閉店していたり,移転していたので使い勝手が悪かった。(おそらく他の国に比べて取材頻度が低い。) 現地邦人向けの情報誌は月刊だったりするので、断然情報が新しいのだ。
クメール焼きのシローは、プノンペン在住の日本人アーティストシロウさんが開いているギャラリー。
プノンペンの大学で講師をする傍らショップを出しているとのことで、シロウさんがいらっしゃらないときは開いていない。 私らはちょうど昼時についてしまったため、見事に閉まっていた。
今でもあるかどうかは不明だが、クメール焼き自体が珍しいらしいので、覗いてみるのもいいかも。
フランスパンにアイスを挟んでくれる。
最後に、偶然見つけたシンガポーリアン経営の土産物屋珠山精品へ。
香港、台湾、シンガポール、韓国、日本などのツアー客をバスで連れてきたりするらしいが、やはり中華系が多いようだ。
私らが行ったときはちょうど台湾の団体様に出くわした
日本語が多少できる店員さんがついてきたので冷やかし半分で色々と質問責めしたり、お茶をもらってカンボジアのお菓子を試食したり、完璧くつろいでいた。
ちょっぴりだけ買い物して、さらに帰る間際にもういっぱいお茶を要求したりしたのだが、おねぇさんはイヤな顔ひとつせず快くお茶を入れてくれ、買わないくせに試食用のドライフルーツをまた開けてくれ・・・この時点で我々はすでにお客ではなくなっていた。
他にお客もいないし店員のおねえさんもVCDデッキの中から売り物のアンコールワットのビデオを取り出し、カンボジアの音楽VCDに取り替えた。
さらにお茶のお代わりを頂き、そのまま一緒にVCD鑑賞などしていた。
カンボジアの音楽VCDはまず、歌入り、続いてその曲のカラオケという順番で数種類の曲が収録されている。
1曲目はタイタニック!セリーヌディオンのあのテーマ曲のクメール語バージョンである。
歌詞の内容はディカプリオのタイタニックと全く同じだったが、映像はあの豪華客船とは似てもにつかないクルーザー(っつーか、あれはトンレサップ川のスピードボートかも(笑))。
金持ちのお嬢さんがさえないカンボジア青年と出会い、婚約者の目をかすめて会いに行っちゃったり (突然婚約者が消えたために、男は船中を探しまくっていたが、見つからないほど大きな船じゃないぞ!)、船の先端であの鳥の様なポーズしたり、肖像画かいたり、一緒に踊ったり、(チョー小規模なんだけども)完全にパクリだった。
思わず笑ってしまったが、店員のおねえさんたちは大合唱。とてもヒットしたみたい。
ちなみに歌手はカンボジアのトップ女優で、「カンボジアで一番美人」だそうだが、数年前に強盗に入られ34歳の若さでなくなったそう。
ツアーの観光客向けのおみやげ物やなのだが、我々が時間のある個人旅行者で、しかも相手が人のいいカンボジア人だったから、冷房の効いた場所で楽しく遊ばせてもらっちゃった。
バンコク駐在員向け情報誌!かなりヒット!でした。
情報誌に載っていたお店(今でもあるかどうかは不明)
- SHI・RO- クメール焼き
- No.29 EO ST.178 (要時間問い合わせ つっても電話番号忘れました)
- KROMA CLOTHES SHOP クロマーとその製品
- MONIVONG BLD. [CAMBODIA JAPAN FRIENDSHIP SKILLS TRAINING CENTER 内]
- PAILIN SOUVENIR 珠山精品 土産物全般
- No.36-38 ST.MAO TSE TUNG BLVD tel: 012-890-686 open: 9:00-19:00