国境越えたら別世界。悪路に四苦八苦のシェムリへの道。
国境の町アランヤプラテートはカンボジアに抜ける単なる通過点の町。短い滞在時間で、少しだけ散歩をしてみた。
夜はご飯を食べさせてくれるところを見つけるのも大変なくらい寂れた雰囲気を醸し出していこの町。 開いている食い物屋を探すのが一苦労だったのである。
今はさすがに市が立っていたりして幾分活気があるが、でも、やはり田舎なのか空気がのんびりとしている。
朝の8時になると、昨晩であった日本人男性2人と共にトゥクトゥクを拾って国境に向かった。
国境付近は一大マーケットが広がっていた。肉、魚、野菜などの食料品を売る店から、衣料品、生活雑貨まで何でもそろえられる。
敷地面積がやたらと広く買い物客がばらけてしまって、ごみごみした市場特有の活気は今ひとつない。
ところで、トゥクトゥクを降りたときから1人のタイ人の男性が我々につきまとっていた。
やたらと親切に国境越えの情報を流してくれると思ったら、どうやら国境付近にある旅行会社の勧誘の様である。
我々はカンボジアのシェムリアプという町を目指していた。カンボジアに来る外人のほとんどがそうである。
シェムリアプはあの有名なアンコールワット遺跡群がある町だ。
シェムリアプに行くに当たりタイとカンボジアの国境は徒歩で越え、そこからピックアップトラックを拾ってシソポンという町にゆく。
シソポンで再びシェムリアプ行きのピックアップトラックを拾わなければならないが、この乗り換えに苦労するんだそうである。
しかし、日本で得てきた情報によると、この国境にある旅行会社を使うと、スムーズに乗り換えシェムリアプに行けるという。
我々は迷わず、この男についていった。
昔は列車が走っていた。
まず、国境でビザを発給してもらわないとカンボジアに入れない。
ちょうど円高傾向にあったのでUSドルで払おうと思っていたら「タイバーツじゃなきゃダメ!」と拒否。残念だ。
国境付近の小屋で書類を書いてはんこをぼんぼんぼん。 つまりイミグレなんだけども、今まで見たイミグレの中で一番簡素なところで、外にテーブルが並んでいるだけ。
まだまだここを通る外人は少ないのでこの程度の設備で足りてしまう様だ。
イミグレーションでの手続きを終え、旅行会社に着くと西洋人カップルがいる。
彼らは同じホテルに宿泊していたが、早朝ホテルを出て行ったのを見かけた。 どうやらピックアップトラックに乗る人数が集まらなかったために待たされていたようだ。むやみに早起きしても意味がないらしい。
ピックアップトラックの料金は車内B.300、荷台B.200。迷わず車内を選択!
車内席はすぐに満席になり、後から来た日本人の若者は有無を言わさず荷台になっていた。
ピックアップトラックは運転席、助手席の後ろにちょっと狭めの後部座席があり、その後ろは荷台。
普通の小型トラックの高さを低くした様な作り。乗用車ではないため座り心地もかなり悪い。
運転手、助手席に西洋人カップルが無理矢理2人乗せられ、さらに後部座席にA氏、私、S氏の3人。
しかし、出発して間もなくトラックは止まり、このトラックを待っていたらしい民衆を乗せる。 荷台は人とその荷物で山のようになり、「大変だなぁ」と人ごとの様に見ていたら、なんと1人のカンボジアン青年が後部座席にやってきた。
「後ろは3人乗りだろ!」と、なぜか西洋人カップルが必死で訴えてくれたが、「だったらもう1人分金を払え」と言わんばかりの対応で、後部座席は4人。いくら小柄なアジア人とはいえ、4人も乗るとキツキツ。
「荷台の方がましだったかな?」と荷台を見やったが、そちらも鬼のように人が積み込まれ、すぐさま前言撤回。
そして、正直、これからが地獄の始まりだったのです。若かったから耐えられましたね。はっきり言って。
夜はご飯を食べさせてくれるところを見つけるのも大変なくらい寂れた雰囲気を醸し出していこの町。 開いている食い物屋を探すのが一苦労だったのである。
今はさすがに市が立っていたりして幾分活気があるが、でも、やはり田舎なのか空気がのんびりとしている。
朝の8時になると、昨晩であった日本人男性2人と共にトゥクトゥクを拾って国境に向かった。
国境付近は一大マーケットが広がっていた。肉、魚、野菜などの食料品を売る店から、衣料品、生活雑貨まで何でもそろえられる。
敷地面積がやたらと広く買い物客がばらけてしまって、ごみごみした市場特有の活気は今ひとつない。
ところで、トゥクトゥクを降りたときから1人のタイ人の男性が我々につきまとっていた。
やたらと親切に国境越えの情報を流してくれると思ったら、どうやら国境付近にある旅行会社の勧誘の様である。
我々はカンボジアのシェムリアプという町を目指していた。カンボジアに来る外人のほとんどがそうである。
シェムリアプはあの有名なアンコールワット遺跡群がある町だ。
シェムリアプに行くに当たりタイとカンボジアの国境は徒歩で越え、そこからピックアップトラックを拾ってシソポンという町にゆく。
シソポンで再びシェムリアプ行きのピックアップトラックを拾わなければならないが、この乗り換えに苦労するんだそうである。
しかし、日本で得てきた情報によると、この国境にある旅行会社を使うと、スムーズに乗り換えシェムリアプに行けるという。
我々は迷わず、この男についていった。
昔は列車が走っていた。
ちょうど円高傾向にあったのでUSドルで払おうと思っていたら「タイバーツじゃなきゃダメ!」と拒否。残念だ。
国境付近の小屋で書類を書いてはんこをぼんぼんぼん。 つまりイミグレなんだけども、今まで見たイミグレの中で一番簡素なところで、外にテーブルが並んでいるだけ。
まだまだここを通る外人は少ないのでこの程度の設備で足りてしまう様だ。
イミグレーションでの手続きを終え、旅行会社に着くと西洋人カップルがいる。
彼らは同じホテルに宿泊していたが、早朝ホテルを出て行ったのを見かけた。 どうやらピックアップトラックに乗る人数が集まらなかったために待たされていたようだ。むやみに早起きしても意味がないらしい。
ピックアップトラックの料金は車内B.300、荷台B.200。迷わず車内を選択!
車内席はすぐに満席になり、後から来た日本人の若者は有無を言わさず荷台になっていた。
ピックアップトラックは運転席、助手席の後ろにちょっと狭めの後部座席があり、その後ろは荷台。
普通の小型トラックの高さを低くした様な作り。乗用車ではないため座り心地もかなり悪い。
運転手、助手席に西洋人カップルが無理矢理2人乗せられ、さらに後部座席にA氏、私、S氏の3人。
しかし、出発して間もなくトラックは止まり、このトラックを待っていたらしい民衆を乗せる。 荷台は人とその荷物で山のようになり、「大変だなぁ」と人ごとの様に見ていたら、なんと1人のカンボジアン青年が後部座席にやってきた。
「後ろは3人乗りだろ!」と、なぜか西洋人カップルが必死で訴えてくれたが、「だったらもう1人分金を払え」と言わんばかりの対応で、後部座席は4人。いくら小柄なアジア人とはいえ、4人も乗るとキツキツ。
「荷台の方がましだったかな?」と荷台を見やったが、そちらも鬼のように人が積み込まれ、すぐさま前言撤回。
そして、正直、これからが地獄の始まりだったのです。若かったから耐えられましたね。はっきり言って。
ピックアップトラックは、シェムリアプに向けて走っていく。
国境の町ポイペトからシェムリアップまでは7時間。日が暮れる頃に何とか到着しそうだ。
ご存じの様に、カンボジアはついこの間まで内戦によって国内が混乱していた。
今は平和が訪れたとはいえ、そのお陰で貧しい人が多い。
そして、戦争の副産物というかあちこちに銃がはびこっていて、兵士崩れの元ポルポト派の人間だけでなく、普通の一般市民まで簡単に銃を手に入れられる。
つまり田舎町を走り抜ける外国人を乗せた車というのは強盗には絶好のチャンスなのである。
ポイペト-シェムリアプ間は、夜になると強盗が出るってのは旅行者の間では有名な話でだから西洋人たちも日が暮れる前にシェムリアップに到着するように早起きをしたのである。彼らの誤算は同乗する外国人が我々日本人しかおらず、そろいもそろってみんながのんびりしていたことだろう。
現地人なら乗る人はそこそこいるんだけども、旅行会社としては外国人をたくさん乗せないと儲からないわけで、だから我々が来るまで待たされていたんだと思う。カンボジア人が一体いくら払っていたかは謎である。
つまりピックアップトラックを乗り換えるのに苦労するという話は、金払いの問題でしょう。
ところで、長かった内戦で貧困にあえいでいた住民は強盗までは行かなくても、小金稼ぎをひらめいたようだ。
外人はもちろんのこと、外人相手に商売してるヤツだって多少の金は持っている。
だから、勝手に私設関所を作り、小金を稼いでいるのであった。これが超はた迷惑なのである。
何をしたのかというと、こうである。
きちんと作られていた道路はわざと掘り返し、水を流し込んで大きな水たまりを作ってしまう。
川にかかる橋は車が通れるぎりぎりの幅だけ残して板をはずしてしまう。
で、ちゃんと車が通れるように誘導してあげるのだ。
水たまりをよけて通ろうとすれば、そこは民家の前つまり私有地だということで、そこの住人が「通行料をよこせ!」と仁王立ち。
水たまりの水は濁っているから、深さがわからない。運転手もスタックは避けたい。
「こっちを通れば大丈夫だ」と、浅いところに車を誘導してあげ、やっぱり「通行料よこせ!」。
たまに橋桁がはずされていない橋があるなぁと思ったら、ど真ん中に太い丸太棒を立てて通行を阻む。
車が橋に近づくと、その辺でくつろいでいた親父がのそのそと立ち上がり、通行料をとってから棒をはずしていた。
こんなのをいちいち相手にするから時間がかかるのである。全くもってやっかいだ。
我々の車の運転手は冷静な人で、通れるか微妙な道にさしかかると、車を止めて後続車を先に行かせる。
その車が問題なく通過するとその後についていき、誘導料金を極力払わないようにしていた。
そして、私設関所の番人が子供だと、無視して通り過ぎた。運転手も相当頭にきているようである。
最初は本当に雨期で車が立ち往生したときに始めたことなんだろうけど、乾期に道路が乾いてお金が入らなくなったので わざわざ道を掘り返して金稼ぎをするようになったと思われる。
働かなくてもお金を手に入れる手段に味を占めたんでしょうね。
ところで、私はB.100多く払ってトラックの中の座席をもぎ取ったのだが、後部座席はクッションなど名ばかりのシートで且つ4人乗り。お尻がものすごく痛いのに、身動きがとれなくてつらくてたまらない。
道は大変な悪路で、常にぐわんぐわんと上下に揺さぶられるし、冷房はほとんど効かない。
普段は車酔いなどしない私だが、気分まで悪くなった。
荷台は身動きできる分ましなのかもと思ったけど、とんでもなかったらしい。
荷台だから当然シートなんかなく振動がもろに来る。
太陽はじりじりと肌を攻め、あっという間にドカタ焼け。
道も悪いから常に埃まみれで白いTシャツはまっ茶色に染まる。
乗っている人全員が埃よけにタオルやクロマー(カンボジアの民族衣装。30cm×1.5mくらいのカラフルな布)を頭に巻いていたが、 色白の日本人は目のまわりだけパンダ焼けしていた。
「中はいいですよねぇ。冷房効いてるんでしょ?」
・・・効いてないけど、確かに外よりは涼しかった。
舗装道路に出た途端、西洋男が「ミラクル!」なんて叫んでいたところを見ると、助手席もキツかったようです。
仕事とはいえ、この道を毎回走っている運転手さんは大変だなぁ。
国境の町ポイペトからシェムリアップまでは7時間。日が暮れる頃に何とか到着しそうだ。
ご存じの様に、カンボジアはついこの間まで内戦によって国内が混乱していた。
今は平和が訪れたとはいえ、そのお陰で貧しい人が多い。
そして、戦争の副産物というかあちこちに銃がはびこっていて、兵士崩れの元ポルポト派の人間だけでなく、普通の一般市民まで簡単に銃を手に入れられる。
つまり田舎町を走り抜ける外国人を乗せた車というのは強盗には絶好のチャンスなのである。
ポイペト-シェムリアプ間は、夜になると強盗が出るってのは旅行者の間では有名な話でだから西洋人たちも日が暮れる前にシェムリアップに到着するように早起きをしたのである。彼らの誤算は同乗する外国人が我々日本人しかおらず、そろいもそろってみんながのんびりしていたことだろう。
現地人なら乗る人はそこそこいるんだけども、旅行会社としては外国人をたくさん乗せないと儲からないわけで、だから我々が来るまで待たされていたんだと思う。カンボジア人が一体いくら払っていたかは謎である。
つまりピックアップトラックを乗り換えるのに苦労するという話は、金払いの問題でしょう。
ところで、長かった内戦で貧困にあえいでいた住民は強盗までは行かなくても、小金稼ぎをひらめいたようだ。
外人はもちろんのこと、外人相手に商売してるヤツだって多少の金は持っている。
だから、勝手に私設関所を作り、小金を稼いでいるのであった。これが超はた迷惑なのである。
何をしたのかというと、こうである。
きちんと作られていた道路はわざと掘り返し、水を流し込んで大きな水たまりを作ってしまう。
川にかかる橋は車が通れるぎりぎりの幅だけ残して板をはずしてしまう。
で、ちゃんと車が通れるように誘導してあげるのだ。
水たまりをよけて通ろうとすれば、そこは民家の前つまり私有地だということで、そこの住人が「通行料をよこせ!」と仁王立ち。
水たまりの水は濁っているから、深さがわからない。運転手もスタックは避けたい。
「こっちを通れば大丈夫だ」と、浅いところに車を誘導してあげ、やっぱり「通行料よこせ!」。
たまに橋桁がはずされていない橋があるなぁと思ったら、ど真ん中に太い丸太棒を立てて通行を阻む。
車が橋に近づくと、その辺でくつろいでいた親父がのそのそと立ち上がり、通行料をとってから棒をはずしていた。
こんなのをいちいち相手にするから時間がかかるのである。全くもってやっかいだ。
我々の車の運転手は冷静な人で、通れるか微妙な道にさしかかると、車を止めて後続車を先に行かせる。
その車が問題なく通過するとその後についていき、誘導料金を極力払わないようにしていた。
そして、私設関所の番人が子供だと、無視して通り過ぎた。運転手も相当頭にきているようである。
最初は本当に雨期で車が立ち往生したときに始めたことなんだろうけど、乾期に道路が乾いてお金が入らなくなったので わざわざ道を掘り返して金稼ぎをするようになったと思われる。
働かなくてもお金を手に入れる手段に味を占めたんでしょうね。
ところで、私はB.100多く払ってトラックの中の座席をもぎ取ったのだが、後部座席はクッションなど名ばかりのシートで且つ4人乗り。お尻がものすごく痛いのに、身動きがとれなくてつらくてたまらない。
道は大変な悪路で、常にぐわんぐわんと上下に揺さぶられるし、冷房はほとんど効かない。
普段は車酔いなどしない私だが、気分まで悪くなった。
荷台は身動きできる分ましなのかもと思ったけど、とんでもなかったらしい。
荷台だから当然シートなんかなく振動がもろに来る。
太陽はじりじりと肌を攻め、あっという間にドカタ焼け。
道も悪いから常に埃まみれで白いTシャツはまっ茶色に染まる。
乗っている人全員が埃よけにタオルやクロマー(カンボジアの民族衣装。30cm×1.5mくらいのカラフルな布)を頭に巻いていたが、 色白の日本人は目のまわりだけパンダ焼けしていた。
「中はいいですよねぇ。冷房効いてるんでしょ?」
・・・効いてないけど、確かに外よりは涼しかった。
舗装道路に出た途端、西洋男が「ミラクル!」なんて叫んでいたところを見ると、助手席もキツかったようです。
仕事とはいえ、この道を毎回走っている運転手さんは大変だなぁ。