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中国寝台列車の旅。広州ー成都は2泊3日(1999.8.8-9広州-成都)

車窓から
成都行きの寝台列車に乗り込んだ。私の予約した席は、日本語の漢字で表すと「硬い寝台」。
長距離移動をする一般的な旅行者が一番欲しがる席だ。

中国の列車の席は大きくわけるとまず、「軟らかい」と「硬い」に分類できる。そして、長距離だと寝台も登場する。

一番安い席は「硬い座席」で、読んで字のごとくビニール張りの硬い席。 ローカル線だと木製のイスもあるとか。まさにベンチ。長距離移動者はかなりきつそうだ (とはいえ、私の友人はこの硬座に36時間乗り続けたそうだが)

そして、その硬座の2倍のお金を出せば「軟座」の切符を手に入れることができる。ただし、長距離列車には存在しないらしい。

中国に無くてはならない「お湯」は窓際のテーブルの下に備え付けのポットを利用。硬座の場合は、車掌がやかんを持ってまわってきてくれるらしい。

「硬臥」は硬座と同じビニール張りの硬いシートの寝台だ。
向かい合わせの3段式寝台が列車と垂直に有るのは日本のB寝台と同じ。 でも、中段と上段も最初からベッドになっている。つまりは列車の天井が日本より高いんだろうか。

そして、「軟臥」はクッション入りの柔らかい寝台。コンパートメント式で上下2段の寝台が二組ある。 冷暖房完備。用意されている枕などの寝具も硬臥とは雲泥の差だそうだが、その分料金は高い。 硬座の5倍!

そしてさらに列車によれば快速とか特快とか特別料金がかかる。まあ、これは日本と同じですね。
ただし、快速とかいう割には遅い(笑)。広州から成都までは二泊三日である。

自分の車両に乗り込むと、まず入口の乗務員に自分の切符を渡しそれと引き替えに座席票をもらう。
下車時に再び切符と交換するんだが、なぜなんだかよく解らない。 切符の検察の意味だけではここまでしないよね(このシステムは寝台車両だけらしい)。 そして、デポジットが50元。

あとは、自分の座席を見つけて落ち着くだけ。私は中段の寝台だったので、乗車早々、上に上がってごろごろしていた。

周りの人々はそこここでうち解け始め、自分の持ち込んだピーナツやひまわりの種を開けては談笑し、食っては種をとばす。
だいぶ車内が汚れてきたなーなんて思っていると、服務員が何処からともなくほうきとちりとりを持ってきて、掃除したりして割ときちんとしている。
中国の列車の通路はそこら中に落花生やひまわりの殻で埋もれていると聞いたことは有るが、まあ、ホントにみんな好きで好きで食べまくり、そしてちゃんと片づけてましたね。(でも、最初からとばさなきゃ良いと思うのだけど)

そのうち、夕食の時間になり、車内でぶっかけ飯の弁当売りがやってきた。
車内販売でお菓子、カップラーメン、飲み物はしょっちゅう売り歩いているが、食事はご飯時に限られる。一日に3回、朝食、昼食、夕食の時だけだ。

ただ、中国の人はカップラーメンがとてもお好きらしくみな大量に持ち込んでいた。 お湯は常にボイラーでわかしっぱなしなんだから、食べ放題だ。
私は食堂に行くかこのぶっかけ飯を買うかとおろおろと悩んでいたが、そのうち列車がとある駅に停車すると、車内の橋脚が一斉に外に出ていった。

「お、そうか、駅弁だ!」

これは楽しい!
食堂も弁当も却下!早速私も弁当買いに猛ダッシュである。


弁当売りは短い停車時間で多くの乗客に弁当を売るため、乗車口付近に陣取っていた。
何種類かの弁当のうち、私は小さなどんぶりに入ったごはんものをほくほく顔で購入。 見た目は「峠の釜飯」の中国版って言うところ。10元。

早速、車内に戻り、通路にあるテーブルを陣取り食べ始めた。
すると、隣の寝台スペースから1人の男の子がやってきて、私のご飯を指さしながら何か言う。

広州のお姉さんと息子君 「○××△☆※」
「ごめん。何言っているかわからないよ」


くるりときびすを返し、お母さんのところに戻る。そして、また私の前に戻ってきて何か言う。

「×△☆※◇●」
「いや、だからわからないって。あいむそーりー。あいきゃんとあんだすたん」


再び母のところにもどり、なにやら聞いてくるとまた、私に何か言う。でも、わかんないー。

すると、その一部始終を見ていた親父が私に何か言い始めた。

「だからー、×・△・☆・※・◇・●」

いや、あのですねぇ。「この子はこう言ってるんだよ」とばかりに、一言ずつゆっくりと話してくれているのはわかるんだが、どんなにゆっくりはっきり発音して戴いても中国語で有る限りまったく見当つかないのだよ。

この子供とその家族は広州の人だったので、最初は広東語で話しかけて来たのだろう。 そのあと、お母さんに別の中国語の言い方を聞き、それでも私がわからない顔をしているからさらに別の地方の言葉を聞きに行ったらしい。

どんなにゼスチャーで訴えても、英語や日本語で受け答えをしても、親父も 「×・△・☆・※・◇・●」を繰り返すだけである。

しょうがない。鞄からメモと紙を出して、こう書いた。

「日本人」

その紙を見た途端、周りじゅうの人々が「なんだよ、おまえ日本人だったのかよー」って言う感じに納得した。 どうも私は日本人とは思われなかったらしい。無口だし、変なヤツって思われていたっぽいけど、だって、喋りようがないんだもん。

そのあとは、結局、この子供と大変仲良しになり、紙飛行機や紙手裏剣作ったりして遊んでました。 かなり迷惑な存在になっていた事でしょう。

ちなみにこの車両の客室係のお姉さんも三日目の朝になるまで私が日本人と気づいていなかった。
汚い格好でうろうろし、ポケットから小銭をじゃらじゃら出して、「弁当一つ。」ってな態度でぶっきらぼうにぶっかけめし買っていたし、態度が親父みたいだったと思う(笑)。
でも、後で中国に留学していた友人などに話を聞くと、日本人と思われるといいことばかりではないらしく、一生懸命まわりの中国人の立ち居振る舞いを見てまねをしていたそうだ。

切符を買うときに「切符を一枚ください。」と丁寧にいうと外国人とばれる。
中国人はどうやって切符を買うんだろうと思ってみていたら、行き先と座席クラスを告げるだけで、丁寧な言い回しはしないのだそうだ。
だからそれからそのような態度をしたら、日本人とばれなくなったそうだ。
つまり、私は無愛想に振る舞っていたつもりが、実は中国人には普通だったのかもしれません。