旧日本人倶楽部のあった田舎町バトゥパハ。
タイからシンガポールまで。マレー半島縦断の旅も残すところあと3日。
マラッカからシンガポールまでは200キロちょいと目と鼻の先で、このままシンガポールにいけなくもないが、 一つ田舎町に立ち寄ることにした。そこがバトゥパハだ。
この町のことは余りよく知らないのでガイドブックの受け売りだけども、日本人とはゆかりの深い町なんだそう。
明治33年頃に日本人が移り住み始め日本人の投資で大きく発展たので、日本人クラブがあった。
その昔、詩人の金子光晴がバトゥパハに滞在し、「マレー蘭印紀行」という本を書いたので、
金子ファンはここを訪れて本の世界に浸ったりするみたい。
旧日本人クラブ
ガイドブックに載ってるのでなんとなくバトゥパハに来た私は、あまりの寂れ具合に驚いた。
日本人以外の観光客が来ることはないさそう。事実、外国人は日本人ですら全く会わなかった。
バスターミナルの前に小さなショッピングセンターがある他はホテルが数件、人通りも車の通りも少なく非常に静か。
すぐ外は新羽椰子の森
そして、ご飯屋も余りなかったんですよ~。
美味しかったのは、マレー屋台街で食べたABCスペシャル(アイスカチャンスペシャル)くらいだ。
この寂れた町の寂れたホテルに日本料理屋があったのは昔の名残ですね。
恐らくこの町は昔のままほとんど変わっていなさそうなので、懐かしがる人もいらっしゃるのでしょう。
マラッカからシンガポールまでは200キロちょいと目と鼻の先で、このままシンガポールにいけなくもないが、 一つ田舎町に立ち寄ることにした。そこがバトゥパハだ。
この町のことは余りよく知らないのでガイドブックの受け売りだけども、日本人とはゆかりの深い町なんだそう。
明治33年頃に日本人が移り住み始め日本人の投資で大きく発展たので、日本人クラブがあった。
その昔、詩人の金子光晴がバトゥパハに滞在し、「マレー蘭印紀行」という本を書いたので、
金子ファンはここを訪れて本の世界に浸ったりするみたい。
旧日本人クラブ
日本人以外の観光客が来ることはないさそう。事実、外国人は日本人ですら全く会わなかった。
バスターミナルの前に小さなショッピングセンターがある他はホテルが数件、人通りも車の通りも少なく非常に静か。
すぐ外は新羽椰子の森
美味しかったのは、マレー屋台街で食べたABCスペシャル(アイスカチャンスペシャル)くらいだ。
この寂れた町の寂れたホテルに日本料理屋があったのは昔の名残ですね。
恐らくこの町は昔のままほとんど変わっていなさそうなので、懐かしがる人もいらっしゃるのでしょう。
バトゥパハの写真
I バトゥパハの町並み
バトゥパハの町は、道路が一本一本ものすごく広い。中央線もパーキングメーターもないので、車は停め放題。でも、大きなトラックが行き来するでもなく、余計に寂しげな雰囲気の町でした。
II 旧日本人クラブ
一応、撮っておいた写真。旧日本人クラブの周りにはバナナを売る店がずらっと並んでいた。日本人クラブの前の港から舟で運ばれてくるものと思われる(テキトー)。
III 貿易港っていうのかな・・・
「船」ではなく、「舟」を使う、バトゥパハの貿易港。今でもゴムを搬出しているのか、はたまたピーサン(バナナ)か。