ジャンムー旧市街散歩。タクシーよりそぞろ歩きが楽しい。
ムバラクマンディの近くの路地で遊ぶ子供たち。
ジャンムーでの宿泊はジャンムータウィ駅前にあるレモンツリーホテルを予約して頂いていた。
デリーへはタウィー駅からラジダニエクスプレスで移動する予定だったからである。
ホテルのウェブサイトを見る限りとても小綺麗なシティホテルと言った雰囲気に思われたが、
実際にはシティホテルとビジホの間くらいのたたずまい。こじんまりとしてかわいらしいホテルだ。
日本にあるならごくごく普通のホテルなのだが、ジャンムー駅周辺の雑然とした雰囲気の中では妙に浮いていて、
一見敷居が高そう。だが、いかにも親父しか近づけないワインショップ(というより酒屋)がホテルの隣にあったり、
酒屋側の壁に裏口があり、ホテルの建物内なんだけども、ホテルの中から行き来できない地下室が設けられていて、
親父が隠れて一人酒をする怪しげなバーがあったりする。※さすがに客じゃなかったので写真撮れなかった。
お金持ちほど自身を律してお酒を飲まない傾向にあるインドでは、決して高級路線を追っているわけではなく、
インド産ワインSULA
酒屋で買って飲んだ。
日本の感覚で言えば、出張で来たら仕事の後に一杯やれていいよねっていう感じ。
ホテルの正面右手には焼き物を出してくれる屋台があって、我々だったら酒屋で
キングフィッシャー(インドのビール)買ってこの屋台に持ち込んじゃうけど、
人目につかずに飲める空間(カーテンの囲いとか)がない店なので、
インドの親父はここではきっと飲まない。(飲めない。)
だから、地下のバーが必要なのだ。
ここに限らずジャンムーの町中では割と簡単に酒屋を見つけられたので、酒の需要が高いという意味でもムスリムは少なそうです。
さてさて。そのジャンムータウィー駅前のレモンツリーホテルを拠点にして、ジャンムー観光に繰り出した。
駅が目の前だったこともあり、駅前のプリペイドタクシースタンドでムバラクマンディまでのノンエアコン車を手配。
実は後で気づいたことだけど、その運転手はムバラクマンディが何かを知らなかったようだ。
我々が乗車すると普通に車を走らせながら、時々、ヒンドゥ語でわーーっと我々に向かってまくし立てるけど、
何を言っているのか検討すらつかない。(彼の言葉がヒンドゥ語という確信もない。)
日本語は当然として英語も全く解さず、我々があなたの言葉を理解できないということが伝わらない。
こういうときって地名さえ伝われば、後は身振り手振りでなんとなくうまくいくものだが、それすら無理なのだ。
さらに当然、地図など読めるわけがない。(こっちが持っているのは日本語と英語の地図だ。)
北上するはずの道を南下しだした時はさすがに進路を修正させたが、今度は逆に当てずっぽうでどんどん車を走らせ、 スーパーマーケットの前で停めてドヤ顔。
つーか、タクシースタンドでちゃんと行き先聞いてたでしょ!レシートにも行き先書いてあるじゃないか!
・・・でも我々が読めるってことはアルフェベット表記なのである。
「だからちがーーう!あっちの道を行くんだってば!!」
スーパーに着いても降りる気配のない我々を見て、さすがに間違ったことだけは自覚したようで、
その後はオートリキシャを見かける度に停車し、リキシャの運転手を通訳に使って、少しずつ、少しずつ目的地へ近づいていった。 狭いジャンムー中心街。小一時間ほどかかってようやくムバラクマンディへたどり着いたときはなんだかどっと疲れた・・・。
普通に走ってたら間違いなく20分もあれば着いてたわ。もう。
満面の笑みのタクシーの運ちゃん。
言葉通じないんだから頼まないっつーの!
(意思の疎通が不可能と学習し、駐車場係のおっちゃんとかを連れてくる。)
周辺をぐるりと見て回った我々は、今度は徒歩で、ジャンムー旧市街に向かって のんびりと坂を下りながら下町をそぞろ歩きしました。
ムバラクマンディはマハラジャ宮殿。今は使われてなくて廃墟のようになっておりますが鋭意改装中です。
火事にあったり、地震で崩れたりして、かなりの広範囲が壊れていて危険な状態です。(でも勝手に入れる。)
つまりこの一体はこの宮殿に居住ししていたマハラジャの領民が住んでいた下町って訳なのだ。
一般的に観光地と呼ばれる見世物は少ないジャンムーですが、さほどそういうのに興味がない私にしてみると、
むしろこういった下町を客引きなどに邪魔されず、のんびり散歩できたのが楽しかった。
ラダックではいなかった物乞いにバクシーシをねだられることもありますが、ポケットに入っていたあめ玉とか、
ヒンドゥ寺院のお参りでいただいた金平糖を差し出しても、「もっとくれ!」とか「それより金をよこせ!」と言われることもなく、 黙って受け取って、すっといなくなる。
よそ者なのに、変によそ者扱いされずに、普通に町に立たせてもらえるのがとっても楽。
(でもこの町の女子高生のインスタやフェイスブックにはかなり掲載されてます。スマホ片手にいっぱい来た!)
ちなみにタウィー川を渡って我々のホテルのあるエリアは大学と軍事施設が入り乱れています。
でっかい団地みたいな集合住宅の下が商業施設になっていたり、駅前のバザールには銃砲店があったり。
集合住宅は一般人用か、それとも公務員宿舎みたいなのかしらん?(学生寮はきっと大学敷地内だよね?)
川向こうの下町は女性が喜びそうな華やかな雰囲気もあるけど、こっちは学生とおっさんエリア?(いいすぎ)
旧市街、新市街と分けていい物かどうかはわかりませんが、ともかく町の中心は間違いなく宮殿がある川向こうです。
ジャンムー町歩き
ムバラクマンディ
現在は役所、裁判所、美術館として使われており、使われているところは修復が完了していますが、 それ以外は廃墟という言葉がしっくりくるくらい寂れています。過去に火災と2度の地震に見舞われ被害が拡大した。
中庭は周辺住民の憩いの場:公園として整備されています。
城門をくぐるといかにも旧市街!って雰囲気の住宅密集地。 我々のようなよそ者が歩いているとめざとく見つかる。 東アジア人なんてそう来ない場所だからか、隠れたりするわけでもなく興味津々に出てきます。 ジャンムーの人は適度にほっといてくれて、町だけでなく、住宅街を散歩していても楽でしたね。 (国によっては子供に石投げられるからね。)
アマールマハルは小さいので簡単に修復できるけど、ここは建物の数も多いし、いちいち大きい。 莫大な予算が必要なので、崩れるがままに廃墟になっちゃうのかも。 (特に裏庭の周りの建物がひどい。)
前日S氏が案内してくれたのがアマールマハルだった理由がここを見てわかりました。
さすがは0を発見した国!数学ナンバーワン!
数学っていうのがインドっぽい。
しばらくの間は本屋さんやコピーやさんなど、勉強に関係するお店が並んでいました。 予備校通りだったんでしょうか。
寺院周辺の門前町から一気に旧市街のバザールへ突入
ヒンドゥ寺院が近づくにつれ、門前町の雰囲気が強くなり、お線香、花輪、スイーツ、それからお参りに来た人目当ての いろんな日用雑貨から、お洋服、そして、この町でやたらに目にしたのがメヘンディ(ヘナタトゥ)のお店です。
女性も多く、賑やかな旧市街って感じ。
新市街側のおっさん密度が濃い商店街。銃砲店も数店舗あります。
明らかに買い物客ではない我々が店内に入っても嫌な顔をせずに商品の説明をしてくれるシーク教徒の店員さん。 日本では法律で銃を持ってはいけないんだけどって話したら、「インドも同じだよ。軍人さんにしか売らない」って話でした。
壁のショーケースにはライフルがずらーーっと並んでいて、短銃はケースに入れてしまってあった。 インド製の短銃を持たせてくれたけど、ずっしりと重い鉄の塊って感じだ。
しかし、店の作りは銃砲店もナッツ屋もにたようなもので、シャッター締めてインドの南京錠で施錠して終わりではないか、 きっとセコムなんてなくって、簡単に盗めてしまうのではないか、など想像した。
インドでこんな店初めてみたなぁ。軍人さんが装備品補給する町っすかね。
インド:ラダック旅行に行きたくなったら・・・物価の目安にどうぞ。
旅行時期:2018年9月
1ルピー=約1.7円
■宿泊:lemon tree hotel jammu 5000円/人くらいで2食の食事付き。1ルピー=約1.7円
■交通:プリペイドタクシー 370ルピー、オートリキシャ 150ルピー
■成田-デリー航空券 直行便で燃油サーチャージ込み90,000円前後~。
デリー-レー航空券 片道8,000円くらい。レー-ジャンムー航空券 片道10,000円くらい。
ラダック ザンスカール スピティ 北インドのリトル・チベット
ラダックについて最も詳しく書いてあり、なおかつ新しい書籍がこれ。 地球の歩き方の別冊シリーズの一つで、これがあればインドの中のチベット世界へ行くのにかなり役立ちます。 重いのでコピーしたけど。
ただし、旅先はラダックだけではなかったので、地球の歩き方インドとロンプラの該当ページを持参した。
ロンプラは公式サイトからジャンムー&カシミール州のみ購入しました。
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