グジャラートの旅から帰国。グジャラートを地震が襲った。
デリーに戻って来くるとたったの10日で様子が変わるはずもなく、
相変わらずすさんだ雰囲気で、そしてやっぱり寒かった。
今回の旅で一番快適だったのはここに来るまで乗っていたラジタニエクスプレスである。
日本じゃあたりまえのエアコン車両がこれほど有り難いモノだったとは考えもしないことだった。
沖縄などの南の島を除けば、日本の冬は寒いのが当然だ。
だから昔から火鉢、掘り炬燵、ストーブ、囲炉裏など暖をとる手段は何かしら存在していた。
そして、現在に至っては各家庭に電気ごたつにファンヒーター、エアコンの類があるのは当たり前の世界。さらに床暖房まである家庭もザラである。
「この暑い国を冷やすのだから冷房など贅沢品である」というようなコメントを某ガイドブックで目にしていたが、寒いのを暖めることすらもここまで贅沢だとは思いもよらなかった。
もっと北のヒマラヤの方ではさすがに暖炉などありそうなものだが、この寒さでも耐えられない私がヒマラヤまで確かめに行くわけがないのは言うまでもない。いやだ~。
この日の晩御飯は何故か友人の友人の誕生日会に引きずられて行き、オールドデリーのモティマハルで晩ご飯をおごって貰った(インドでは祝って貰う本人がみんなにおごる)。
しかし、よりによってこの寒いのにオープンエアのレストランで火に当たりながら食事をしなければならないなんて、はっきりいって踏んだり蹴ったりである。ただめしを食うより暖かいところにいられる方が数倍嬉しい。
だいたい、誕生日の君!・・・一体、誰?
そんなこんなのさむーい、さむい、デリー最後の一夜をなんとかやり過ごし、私は飛行機でバンコクに飛んだ。
いろんな旅人が口にしていささかこの表現にも飽きが来るだろうが、タイの玄関口、ドンムアン空港の南国特有のむあっとした空気には本当にほっとする。来る度に、「日本がここに移動すればいいのに」といつも思う。
暑さなら充分耐えてみせる。寒いのだけは日本の冬だけで十分である。
そして帰国してから3週間。唐突にも私の元に1通のe-mailが届いた。
「今日、インドで地震がありました。でも、こっちは大丈夫です。グジャラートの方では人がたくさん死にました。」
地震大国ニッポンに住んでいるこっちとしてみては、「地震があったからだからなに?」状態。
そんなことでいちいちメールなんてよこすなよ。
このメールを軽く受け止めていた私は、帰宅して新聞に目を落としてぶったまげた。
日本の新聞の一面にでかでかと載るくらいの、何千人者死者が出るくらいの大地震だった。
ごっ、ごめん!!軽くあしらって・・・。
崩れた瓦礫の映像を見ては、「ああ、やっぱりちゃんと鉄筋入ってないじゃん。。。」とうなだれる。
寒そうに毛布にくるまりながら火に当たる人を見ては「今、寒いもんなぁ、グジャラート・・・」と夜の冷え込みに放り出された人々に同情する。
避難した小屋ごと井戸に落ちた少年の話を聞けば、「あの階段井戸なら小屋ごと落ちるなんてあり得る話だ。」と想像を巡らせてしまう。
正直なところ、日本にあっても行ったことのない神戸よりも、外国なのに行ったことがあるグジャラートの方が映像が頭に思い浮かぶ分だけ余計に現実的で衝撃的だった。
雨が降らずに苦しむ農家の人たち。そして食べるものにも生きていくのも本当に苦しくて自殺する人の話たくさんいるっていう話を聞いてうなだれた矢先のこの地震である。
インドの大地はとことんグジャラートに冷たかった。
「デリーでも地震の揺れが大きくて目が冷めたよ。天井見上げたらファンがぐるぐる回ってた」
・・・スイッチ入ってないのに、ファンが回ってたか・・・想像できるだけに思わず吹き出しそうになってしまった。
ご、ごめーん。不謹慎で~。笑ってないってばっっ。
あれから1年。アマダバードは、ラージコートは無事復興したのかなぁ?
(※2002年に書いた旅行記です。地震とかはその時の話題です。あしからずご了承ください。)
相変わらずすさんだ雰囲気で、そしてやっぱり寒かった。
今回の旅で一番快適だったのはここに来るまで乗っていたラジタニエクスプレスである。
日本じゃあたりまえのエアコン車両がこれほど有り難いモノだったとは考えもしないことだった。
沖縄などの南の島を除けば、日本の冬は寒いのが当然だ。
だから昔から火鉢、掘り炬燵、ストーブ、囲炉裏など暖をとる手段は何かしら存在していた。
そして、現在に至っては各家庭に電気ごたつにファンヒーター、エアコンの類があるのは当たり前の世界。さらに床暖房まである家庭もザラである。
「この暑い国を冷やすのだから冷房など贅沢品である」というようなコメントを某ガイドブックで目にしていたが、寒いのを暖めることすらもここまで贅沢だとは思いもよらなかった。
もっと北のヒマラヤの方ではさすがに暖炉などありそうなものだが、この寒さでも耐えられない私がヒマラヤまで確かめに行くわけがないのは言うまでもない。いやだ~。
この日の晩御飯は何故か友人の友人の誕生日会に引きずられて行き、オールドデリーのモティマハルで晩ご飯をおごって貰った(インドでは祝って貰う本人がみんなにおごる)。
しかし、よりによってこの寒いのにオープンエアのレストランで火に当たりながら食事をしなければならないなんて、はっきりいって踏んだり蹴ったりである。ただめしを食うより暖かいところにいられる方が数倍嬉しい。
だいたい、誕生日の君!・・・一体、誰?
そんなこんなのさむーい、さむい、デリー最後の一夜をなんとかやり過ごし、私は飛行機でバンコクに飛んだ。
いろんな旅人が口にしていささかこの表現にも飽きが来るだろうが、タイの玄関口、ドンムアン空港の南国特有のむあっとした空気には本当にほっとする。来る度に、「日本がここに移動すればいいのに」といつも思う。
暑さなら充分耐えてみせる。寒いのだけは日本の冬だけで十分である。
そして帰国してから3週間。唐突にも私の元に1通のe-mailが届いた。
「今日、インドで地震がありました。でも、こっちは大丈夫です。グジャラートの方では人がたくさん死にました。」
地震大国ニッポンに住んでいるこっちとしてみては、「地震があったからだからなに?」状態。
そんなことでいちいちメールなんてよこすなよ。
このメールを軽く受け止めていた私は、帰宅して新聞に目を落としてぶったまげた。
日本の新聞の一面にでかでかと載るくらいの、何千人者死者が出るくらいの大地震だった。
ごっ、ごめん!!軽くあしらって・・・。
崩れた瓦礫の映像を見ては、「ああ、やっぱりちゃんと鉄筋入ってないじゃん。。。」とうなだれる。
寒そうに毛布にくるまりながら火に当たる人を見ては「今、寒いもんなぁ、グジャラート・・・」と夜の冷え込みに放り出された人々に同情する。
避難した小屋ごと井戸に落ちた少年の話を聞けば、「あの階段井戸なら小屋ごと落ちるなんてあり得る話だ。」と想像を巡らせてしまう。
正直なところ、日本にあっても行ったことのない神戸よりも、外国なのに行ったことがあるグジャラートの方が映像が頭に思い浮かぶ分だけ余計に現実的で衝撃的だった。
雨が降らずに苦しむ農家の人たち。そして食べるものにも生きていくのも本当に苦しくて自殺する人の話たくさんいるっていう話を聞いてうなだれた矢先のこの地震である。
インドの大地はとことんグジャラートに冷たかった。
「デリーでも地震の揺れが大きくて目が冷めたよ。天井見上げたらファンがぐるぐる回ってた」
・・・スイッチ入ってないのに、ファンが回ってたか・・・想像できるだけに思わず吹き出しそうになってしまった。
ご、ごめーん。不謹慎で~。笑ってないってばっっ。
あれから1年。アマダバードは、ラージコートは無事復興したのかなぁ?
(※2002年に書いた旅行記です。地震とかはその時の話題です。あしからずご了承ください。)