酷暑も何のそので南インドへ。南の主要都市マドラスから始まり。
休みといえば海外逃亡を図っていた頃。暇さえあれば旅本を読みあさり、海外旅行へと思いを馳せる。
1998年の暮れだろうか。以前から目を付けていた妹尾河童さん「河童の覗いたインド」を購入してしまい、
その衝動を抑えられなくなったのである。
河童さんの目線で見たインドの町の姿はどんなガイドブックよりも詳しく、どんな専門書よりもわかりやすい。
なんと言っても、目にとまったものを微にいり細に入りこまかーくスケッチされているところがすごい。文章も手書き。
「これは行ってみたい!ハイダラバードの岩石の上に立つ民家が見たい!」
初めてのインド旅行から1年半がすぎ、私のインド熱は再び燃え上がったのだった。
ハイダラバードといえば、インド中部デカン高原にある町である。
前回はインド初心者らしく北インドを回ったことだし、今回は南インドから入国する事にした。
成田空港からエアインディアに乗り、バンコク、デリー、ムンバイを経由して、翌朝、マドラスの空港に降り立った。
エアインディアは成田-ムンバイまでは同じ飛行機だが、2カ所も経由して約2時間のロス。
ムンバイでは国内線への乗り継ぎで数時間待つという拷問のようなフライトだ。
インド国内の乗り継ぎ便は無料なのでエアインディアにしたのだが、次からはシンガポール航空とか別の航空会社を使う。
さすがにエコノミーの狭い座席にほぼ一日詰め込まれてたので、超疲れた。
成田でから乗り込んだ日本人はバンコクで半分、デリーでほとんど降りてしまい、マドラスまで来たのは他に一人だけ。
その一人って言うのもインド人と一緒にいるので、観光客じゃないのかもしれない。
今回は弟をそそのかして連れてきた。
「インドいこーよ!」
それだけで連れてきてしまいほとんどだまし討ち。
「え?北インドじゃないの?普通、最初はタージマハール見るでしょう?」
「見ないよ。だって今回はハイダラバード行くんだもん。だいたいチケットがマドラスだからどう考えてもタージマハールは無理!」
そんなこんなで連れてきて、しかも、気流が悪く飛行機は大揺れ。
トランジット地では待ち時間も機内に押し込められさんざんだった。(エアインディアは乗り継ぎ地で機外に出してもらえない。)
行きの機内ですでに彼は何度も繰り返していた。
「もう、インドなんて二度とこない」
おーい、そのせりふはまだ待ってくれ。
空港からはタクシーでも拾って市内に向かおうと思った。
しかし、デリーの空港とは違い観光客を待ち構える客引きなどおらず、誰にも声をかけられることなくあっさりターミナルをでてしまった。
入り口前にいる人々は皆、誰かの出迎えらしい。身構えていたので拍子抜け。
誰からも声がかからなかったので、駅の場所を聞いて電車で市内に向かった。
電車は一応切符を買ったけど、改札も検察もないのでただ乗りしてもばれなそうな感じ。
そして、こんな早朝にも関わらず結構乗客が多いのには驚いた。
ひとまず終点のエグモア駅で下車した。下町って雰囲気の町だが、駅が近いので宿泊施設は割にある。
探せば安くてよい宿はあるはずだが探す気力がないので、無難にYWCAにチェックイン。
YMCAやYWCAは極端に安いことはないが、そこそこのレベルなので、まー、妥協してもいいだろと。
駅前の屋台でチャイで一服し、YWCAを目指した。
途中、いきなり路上で寝ている人を見かけて驚いたが、彼らは別に路上で生活しているわけではなく、
家の中が暑いので、路上に出て寝ていたようだ。実は5月頃のインドは一年で最も暑い、酷暑期なのだ。
飛行機が経由地のデリーの空港に降り立つときのアナウンスが思い出される。
「まもなくインディラガンディー国際空港に到着します。現地時間は午後9時×分、気温3▲度・・・」
夜中なのに30度を越しているというのである。機内がざわめいたのは言うまでもない。
インド北部は昼間の気温は40度を超える日がざらだが、空気は乾燥していると聞いている。
しかし、インド南部は気温は北部ほどは高くならないが、湿気が多い。
日本の夏の熱帯夜を思い出してほしい。扇風機だけじゃ寝付けない夜!
そして、それよりもさらに気温が高いのが、南インドの夏ってところでしょうか。
狭い家に家族がたくさん住んでいる上に冷房なんてないんだもの。寝苦しくて外で寝たくなるわな。
昼間、同じ通りを歩いたが早朝のように寝ている人などいない。
子供たちはボール遊びに興じ、大人たちも家の前にお店を出していたりして、普通の町と変わらない。
なんともシュールなインドの始まりなのであった。
ところで、私は新しい街に着くと、まず歩けるだけ自分の足で歩いてみることにしている。
中心部からの地理を頭に入れておくことで、バスやタクシーなどの公共交通もぐんと使いやすくなるし、面白い発見もある。
町歩きのために地図を手に入れようと観光局に向かったが、運悪くこの日は日曜日で観光局は閉まっていた。
「あー、閉まってる~」
くそ暑い中わざわざやってきたがためにまさにガックリだ。
「日本人?どうかした?」
「地図をもらいたかったんだけど、休みだったよ。」
「地図だったら、こっちで手にはいるよ。来な!」
案内してくれた売店で、「ほらこれ。」と一つの地図を手渡してくれる。そこにはでかでかと「CHUNNAI」の文字。
「チュンナイってどこ?マドラスの地図がほしいんだけど」
「マドラスはチュンナイだよ」
「え?昔の名前?この地図古いんじゃないの?」
「いやいや、ニューネームだ!」
はぁ?なんだそれ??そういえば空港でも「チュンナイ」というアナウンスを聞いた気がする。
トランジットカウンターでマドラスの表示がなって戸惑っていたら、チュンナイというカウンターでチケットを引き替えてくれた。
名前が新しくなったなんて知らないものだから、日本からマドラスに3回もトランジットしながら行く様な奇特な人はいないから、
カウンターを設けなかったんだとばかり思ってた。
後で調べた話では、インドは徐々に街の名前をイギリス統治前の名前に戻しているらしく、マドラスがチェンナイに戻ったのもつい最近のことだった。 どうりでガイドブックにも載ってないわけだ。
こんな大きな主要都市の名前が変わっているとはつゆ知らず。無事にここまでこれてよかった。
チェンナイのマリーナビーチ。夜は人で賑わうが昼間は暑いのでこの通り。
1998年の暮れだろうか。以前から目を付けていた妹尾河童さん「河童の覗いたインド」を購入してしまい、
その衝動を抑えられなくなったのである。
河童さんの目線で見たインドの町の姿はどんなガイドブックよりも詳しく、どんな専門書よりもわかりやすい。
なんと言っても、目にとまったものを微にいり細に入りこまかーくスケッチされているところがすごい。文章も手書き。
「これは行ってみたい!ハイダラバードの岩石の上に立つ民家が見たい!」
初めてのインド旅行から1年半がすぎ、私のインド熱は再び燃え上がったのだった。
ハイダラバードといえば、インド中部デカン高原にある町である。
前回はインド初心者らしく北インドを回ったことだし、今回は南インドから入国する事にした。
成田空港からエアインディアに乗り、バンコク、デリー、ムンバイを経由して、翌朝、マドラスの空港に降り立った。
エアインディアは成田-ムンバイまでは同じ飛行機だが、2カ所も経由して約2時間のロス。
ムンバイでは国内線への乗り継ぎで数時間待つという拷問のようなフライトだ。
インド国内の乗り継ぎ便は無料なのでエアインディアにしたのだが、次からはシンガポール航空とか別の航空会社を使う。
さすがにエコノミーの狭い座席にほぼ一日詰め込まれてたので、超疲れた。
成田でから乗り込んだ日本人はバンコクで半分、デリーでほとんど降りてしまい、マドラスまで来たのは他に一人だけ。
その一人って言うのもインド人と一緒にいるので、観光客じゃないのかもしれない。
今回は弟をそそのかして連れてきた。
「インドいこーよ!」
それだけで連れてきてしまいほとんどだまし討ち。
「え?北インドじゃないの?普通、最初はタージマハール見るでしょう?」
「見ないよ。だって今回はハイダラバード行くんだもん。だいたいチケットがマドラスだからどう考えてもタージマハールは無理!」
そんなこんなで連れてきて、しかも、気流が悪く飛行機は大揺れ。
トランジット地では待ち時間も機内に押し込められさんざんだった。(エアインディアは乗り継ぎ地で機外に出してもらえない。)
行きの機内ですでに彼は何度も繰り返していた。
「もう、インドなんて二度とこない」
おーい、そのせりふはまだ待ってくれ。
空港からはタクシーでも拾って市内に向かおうと思った。
しかし、デリーの空港とは違い観光客を待ち構える客引きなどおらず、誰にも声をかけられることなくあっさりターミナルをでてしまった。
入り口前にいる人々は皆、誰かの出迎えらしい。身構えていたので拍子抜け。
誰からも声がかからなかったので、駅の場所を聞いて電車で市内に向かった。
電車は一応切符を買ったけど、改札も検察もないのでただ乗りしてもばれなそうな感じ。
そして、こんな早朝にも関わらず結構乗客が多いのには驚いた。
ひとまず終点のエグモア駅で下車した。下町って雰囲気の町だが、駅が近いので宿泊施設は割にある。
探せば安くてよい宿はあるはずだが探す気力がないので、無難にYWCAにチェックイン。
YMCAやYWCAは極端に安いことはないが、そこそこのレベルなので、まー、妥協してもいいだろと。
駅前の屋台でチャイで一服し、YWCAを目指した。
途中、いきなり路上で寝ている人を見かけて驚いたが、彼らは別に路上で生活しているわけではなく、
家の中が暑いので、路上に出て寝ていたようだ。実は5月頃のインドは一年で最も暑い、酷暑期なのだ。
飛行機が経由地のデリーの空港に降り立つときのアナウンスが思い出される。
「まもなくインディラガンディー国際空港に到着します。現地時間は午後9時×分、気温3▲度・・・」
夜中なのに30度を越しているというのである。機内がざわめいたのは言うまでもない。
インド北部は昼間の気温は40度を超える日がざらだが、空気は乾燥していると聞いている。
しかし、インド南部は気温は北部ほどは高くならないが、湿気が多い。
日本の夏の熱帯夜を思い出してほしい。扇風機だけじゃ寝付けない夜!
そして、それよりもさらに気温が高いのが、南インドの夏ってところでしょうか。
狭い家に家族がたくさん住んでいる上に冷房なんてないんだもの。寝苦しくて外で寝たくなるわな。
昼間、同じ通りを歩いたが早朝のように寝ている人などいない。
子供たちはボール遊びに興じ、大人たちも家の前にお店を出していたりして、普通の町と変わらない。
なんともシュールなインドの始まりなのであった。
ところで、私は新しい街に着くと、まず歩けるだけ自分の足で歩いてみることにしている。
中心部からの地理を頭に入れておくことで、バスやタクシーなどの公共交通もぐんと使いやすくなるし、面白い発見もある。
町歩きのために地図を手に入れようと観光局に向かったが、運悪くこの日は日曜日で観光局は閉まっていた。
「あー、閉まってる~」
くそ暑い中わざわざやってきたがためにまさにガックリだ。
「日本人?どうかした?」
「地図をもらいたかったんだけど、休みだったよ。」
「地図だったら、こっちで手にはいるよ。来な!」
案内してくれた売店で、「ほらこれ。」と一つの地図を手渡してくれる。そこにはでかでかと「CHUNNAI」の文字。
「チュンナイってどこ?マドラスの地図がほしいんだけど」
「マドラスはチュンナイだよ」
「え?昔の名前?この地図古いんじゃないの?」
「いやいや、ニューネームだ!」
はぁ?なんだそれ??そういえば空港でも「チュンナイ」というアナウンスを聞いた気がする。
トランジットカウンターでマドラスの表示がなって戸惑っていたら、チュンナイというカウンターでチケットを引き替えてくれた。
名前が新しくなったなんて知らないものだから、日本からマドラスに3回もトランジットしながら行く様な奇特な人はいないから、
カウンターを設けなかったんだとばかり思ってた。
後で調べた話では、インドは徐々に街の名前をイギリス統治前の名前に戻しているらしく、マドラスがチェンナイに戻ったのもつい最近のことだった。 どうりでガイドブックにも載ってないわけだ。
こんな大きな主要都市の名前が変わっているとはつゆ知らず。無事にここまでこれてよかった。
チェンナイのマリーナビーチ。夜は人で賑わうが昼間は暑いのでこの通り。