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バンダ島と日本の意外なつながり。日本人傭兵と日本軍の痕跡。

オランダ人の指示により日本人傭兵がバンダ島のお金持ちを大虐殺の絵
【オランダ人が日本人傭兵を使って現地のお金持ちを大虐殺させた】
「航空券も無事手に入ったし、このまま観光してくね。」

NBA航空の前でゲストハウスのオーナーウチュと別れ、町をぶらぶらと散歩して帰ることにした。
バンダネイラの中心部は500m四方で充分入るくらいに小さいので、みっちり観光できれば半日で終わる。
ところが、そこはのんびりした島。歴史的価値があり観光客にとっては見所と呼ばれる場所も空く時間はまちまち。
運が良ければ開いてるけど、閉まっていれば外観しか見られない。だから必ずしも半日で行ききれる物ではない。

毎晩、その日の出来事をウチュに報告しているが、その時の彼の言葉もそれを象徴している。
「今日は何してた?」「ハッタハウスに行って来た。」「今日は開いてたんだ~。良かったね。」
と毎回がこんな感じである。
この日はとりあえずウチュと別れたその足で、バンダネイラの小さな博物館に行ってみた。

バンダネイラの博物館はバンダネイラの様々な歴史遺産を集めた小さな博物館だ。
入場料は入口におかれた箱に自主的に20,000ルピア入れる仕組みなので開いていれば入れる。
管理人はいることにはいるが入場者が少ないのでしばしば席を外す。なんともアバウトな雰囲気。
展示されているのはオランダ統治時代のコインや武器、絵などで、小さなミュージアムショップもある。
(大砲などの大型の武器は博物館じゃなくても町にごろごろに転がってるけども。)

バンダ島の大虐殺の絵の説明がき
冒頭の絵の説明書き
(クリックで拡大。)
英語では日本人傭兵とあるが、
インドネシア語では
虐殺の事実しか書いてない。
博物館に入って一番最初に目に付くのが冒頭の絵です。
相撲のまわしを着け、ちょんまげを結った男が日本刀を振り回して
現地人らしき人を大虐殺しているという何ともむごたらしい絵である。
左手にはオランダ人と思われるヨーロピアンがさも現地人の味方のように
立ちはだかり、日本人と対決姿勢を示しているかのように見える。
「うわー。なにこの風刺が効いたひどい表現・・・。」
マルク諸島と日本の関わりをよく知らなかった私は、第二次世界大戦前後に
日本が侵略してきた時を描いた絵だと思いこみ、うんざりしてしまった。
「日本人=相撲レスラー、日本刀、ちょんまげ」って、ちんけな発想~。

ところがその解釈は完全に間違ってました

絵の注釈には「日本人傭兵がお金持ちを大虐殺している」とある。
よく見たら日付も1621年5月8日。太平洋戦争よりずっと昔の話だ。
つまり江戸時代の出来事である。

バンダ島の歴史が書かれた本
博物館で販売されている、
バンダの歴史が書かれた本。
大槻重之先生のインドネシア専科によると、1600年の関ヶ原の戦いで
失業した武士がヨーロッパの傭兵として東南アジア各地に流れたのだそうだ。
バンダ島は当時世界で唯一ナツメグが取れる場所だったため、
イギリスやオランダなどが覇権を争った歴史がある。

しかも「もっと沢山作ってよ。」って頼んだのに「イヤ。」と拒否され、
原住民を根絶やしにしたそうだ。
その時、「やれ!」と命を受けたのが日本人傭兵というわけだ。
確かに鉄砲持って立ちはだかっているヨーロピアンの後ろにいる人はぼろぼろの服を着ている。
お金持ちや学識のある人を真っ先に殺すのは侵略のお約束だなぁ。

現代、バンダ島に居住しているのも当時、ナツメグプランテーションの労働力として連れてこられた
他島からきた他民族の末裔だそうで、原住民系の民族は残っていないという。
それを知ってなんか納得。だってウチュとかバンダの島の人の顔ってなんか違和感あったんだもん。

アンボンを歩いてるとナイナイの岡村隆史そっくりの風体の人を沢山見るんですよ。ガイドのヤネスもそう。
背がちっちゃくて色黒。鼻の穴が大きくて、鼻の下(ハナと口の間)が長い。そんな姿形の人。
「あ、ちょっとジャカルタとか西の民族と明らかに違う顔立ちだ。」ってすぐに目に付く。
素人感覚でざっくり分けると、西がマレー系やインド系とすれば、マルクは+ニューギニア系がミックスされた感じ?
ところが、バンダ島ではみないんですよ。そう言う人。ウチュなんて北インドの人みたいだなぁって思ったもん。

また、マルク諸島はインドネシアの中では比較的クリスチャンが多いことでも知られています。
数年前、アンボンで起こった宗教闘争は記憶に新しい。アンボンに近いバンダもクリスチャンが多いと思っていた。
来てみたらクリスチャンは確かにいるし教会もあるんだけど、全体にムスリムのほうが優勢な感じがした。
しかし、原住民族がいないのなら、その辺りの思いこみとのギャップにも納得である。
(インドネシアでは信仰は義務。宗教を持たなかった土着の民族がクリスチャンになったケースが多い。)


数日後、バンダ島名物であり、歴史遺産ともいえるナツメグを買いにマーケットに出てみた。
ナツメグの種やクローブなどのスパイスや干したナツメグ、キャッサバチップス、ケナリナッツなど、
バンダ諸島で栽培された農産物の加工品は外国人観光客にとても人気がある。

干したナツメグの実
干しナツメグの砂糖漬け
ナツメグもクローブも産地価格。干しナツメグや塩豆など変わった物もあり、
料理好きには喜ばれること請け合い。
「茄子のケナリソースもまた食べたいし~」と自分土産を物色していると、
こちらの様子を伺うおじいさんが一人。
じいさんがごにょごにょごにょっとなにやらつぶやくと、道路向こうで
女の子が「アイラブジャパン、アイラブジャパン!」と笑いながら叫んでいる。

くるりとおじいさんを振り返ると、私に向かって何か言いたげである。
「ナカムラ、サトウ・・・。」って、あれ?に、日本語?!
おじいさんの話は日本語の単語とインドネシア語が混ざるのではっきりと理解はできない。
「アイラブジャパン!」と叫んだ少女はすっくりと立ち上がり、おじいさんの言葉の通訳を始めた。

じいさん御年87歳。太平洋戦争を知る世代である。バンダ島にやってきた日本軍と交流があった。
「中村さん、佐藤さんという名前の日本人と知り合いだったぞ!」と訴えていたっぽい。
パプアニューギニア辺りでは日本軍に協力した現地の人に会ったという話を聞くことがあるが、
それよりこのじいさんに会って「日本軍、こんなちっこい島まで来たの?」ってマジメにびっくりした。

「おじいちゃん、ほら日本の歌を歌ってあげたら?」と孫に促され、歌い始めた。
話す時は片言だった日本語も歌になったらキッパリはっきりと歌詞が理解できる。歌っているのは軍歌である。
はっきりと憶えてないが、満足な食料もなく過酷な状況だけども明るく立ち向かおうじゃないかという
サムライスピリッツあふれる歌詞で、「うわ~」っといたたまれない気持ちになった。
リズムも歌詞も明るいだけに、余計に自虐性がよく伝わる。

しかし、インドネシアの地図でも「点」でしか表されない小さな小さな島に日本軍が来ていたことも驚きだが、
戦争に巻き込まれた世代の人にそれを踏まえて「日本が好きです。」って言い切られたことの衝撃といったらない。
「あ、ありがとうございます。」と答えるしかなかったです。
ヨーロッパの植民地にされていた東南アジアと、日本に植民地化された東アジアでは戦争に対する温度感も 違うだろうが、中村さんや佐藤さんは個人的にもこのおじいさんと誠実におつきあいをされたんだと思った。

さらにこのおじいさん。お父さんはアラブ人、お母さんはインドネシア人のハーフであった。
言われてみれば、目の色がとても薄い。グレーがかった青色だ。
バンダ島はスパイスの産地としてアラブ諸国や中国との交易の拠点として、多くの外国人が出入りした。
現在の島にアラブ人の生活文化が残った史跡などはないが、一時的に居住していたアラブ人もいただろう。
このおじいさんって、まさにバンダ島の歴史の生き証人だ。


「何年何月に何事件が起こった」と教科書で習う歴史って「だから何?」って存在。
例えば教科書では「関ヶ原の戦い→徳川幕府が誕生→江戸時代の始まり」で終わってしまうことだけど、
その時代に生きた人にはそれぞれの人生があったわけです。そういう創造力ってわかなかったなぁ。

「海がきれいだっていうから行ってみよ~。」と軽い気持ちで来ただけに、いろんな意味で衝撃だった。
予想だにせず深い人生経験をまたひとつ貰った気持ち。だから旅って侮れない。
いつもの日常からほんの一歩でるだけで、今までになかった価値観や経験をもらえるからスゴイです。

バンダネイラ ジャランジャラン写真館 その2 島の観光施設編

湾を見下ろす砦。Benteng Belgica

砦の上から湾を見下ろす
バンダネイラの高台から南と西が見渡せる五角形の砦。 五稜郭を彷彿とさせます。
バンダの中で一番メインになる観光名所なんだけど、滞在期間中一度も開いておらず中には入れませんでした。 いつ行っても受付にシャッターが降りていた。観光客が少ないシーズンではありますけども・・・。
しかし砦ってヨーロッパが侵略した国には必ずありますね。

砦の門 砦の壁面1 砦の壁面2

バンダネイラに残る歴史の負の遺産?

バンダネイラの絞首台
こちらは井戸は井戸でも絞首刑用の井戸。
現在は歴史の負の遺産?のひとつとして残されているようです。
大砲 オランダが残した大砲はバンダのあちこちにごろごろと転がっていて、 直径15センチ、長さ1.5mくらいまでの人がなんとか持ち上げられる大きさのものは 骨董店におみやげ物として売られています。 軍事マニアが買うのかな?重すぎると思うんだが・・・。

インドネシア独立の立役者の元住居。ハッタハウス。

ハッタハウスの外観
インドネシア独立初代大統領がスカルノ。副大統領がハッタ氏。そのハッタ氏がバンダ島にいたそうで、 彼が居住していた住居が博物館として公開されています。
建物こそコンクリートでなおしてありますが、展示された写真や私物、タイプライターやテーブルから、当時の様子をうかがい知ることができます。子供たちに勉強も教えていたそうです。
どうもここで生まれ育ったというわけではなさそうなので、ここにいたのはやっぱ島流し的な要素が大きかったんだろうか? (インドネシア独立にまつわる書物など読んだことがないので、憶測の域は出ておりません。)

ハッタハウス内の学校ハッタハウス内部ハッタハウスの台所と風呂場。井戸。

バンダネイラの信仰。中国寺院とモスク

中国寺院
モスク
バンダ島では一見中国系住民は見あたらないのですが中国寺院があるところを見ると それなりに中国系の人も残っているようです。門は閉まっているけどお線香はあげてありました。
バンダネイラにある墓地もムスリム、クリスチャン、中国系と3つのエリアに別れていて、 大きさで比べるとクリスチャンと中国系は半々くらいのようです。
お参りしたい場合は向かいの薬局の人に頼むと開けてくれるそうだ。

バンダネイラのマジョリティはムスリム。モスクは教会や中国寺院より数も多いし、 お墓の面積もムスリムの墓地の方が広い。
インドネシア全土で95%がムスリムだと言うことを考えれば他宗教の割合は大きい気がするが、 アンボンなど近く(近くもない?)の島に比べるとクリスチャンが少ない印象がある。
クリスマスはこの島にいなかったので雰囲気はわかりませんが、大晦日は教会でミサをやっていました。 聞かなかったけどウチュはたぶんクリスチャンです。

インドネシア バンダ島に行きたくなったら・・・物価の目安にどうぞ。

旅行時期:2010.12月~2011年1月
100インドネシアルピア=約1円
■観光:博物館 20,000ルピア、ハッタハウス 10,000ルピア
■宿泊:ガマラマゲストハウス 150,000ルピア(エアコン付 1室)

■成田-ジャカルタ航空券 直行便で58,000円~。(参考:海外格安航空券の検索・予約 YAZIKITA)
 ジャカルタ-アンボン航空券 片道9,000円~30,000円(予約クラスによる。)
 アンボン-バンダ航空券 片道 250,000ルピア+諸税70,000ルピア=282,000ルピア

 アンボンは国際空港なのに外国からの直行便がないと現地人が嘆いていました。
 2011年1月現在、駐機場を一生懸命増やしているので将来的にシンガポールあたりから来るかも?
 ジャカルタ、マカッサルなどを経由してアンボンまで来ることになります。
 ガルーダインドネシア航空の他、ライオンエアなどの格安航空会社の便もあるが時間が悪いです。

私はエイビーロードで金額をざっくり把握、アタリをを付け、個別の代理店に問い合わせます。

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