第8話 暴動予告と外出禁止令。カルチャーショック受けまくり。 [バラナシ]
バラナシでの2日間はガンガーと宿周辺から離れず、朝に昼にそして夜にとガンガーを眺めていた。
デリーで出会った旅行代理店のボスは、私に「カルチャーショックを受けてこい!」と言った。
思えば私は確かにカルチャーショックを受けたと思う。
路上に、路地裏にどどーんとのさばる聖なる牛。
聖なる牛の排泄物をこねくり回すご婦人(乾かして燃料にする)。
聖なるガンジスで沐浴する人々。
そして、「外出禁止令」もどき。
日本での信仰ってどちらかというと生活習慣の中に溶け込んでしまっているため、宗教をそれほど意識することなく過ごす。
だから、ここまではっきりと宗教観を出した世界というのを初めて見たので、新鮮に映ったのだと思う。
暴動というのは、2日目に町を歩いているときに聞いた噂である。
バックパックを背負った一人の日本人青年が声をかけてきたのだ。
「今日ここで暴動が起こって外出禁止令が発令されるらしいですよ。知ってました?」
・・・は???
外出禁止令って一体なに?っていう世界。
バラナシはインド全国にあるいくつかのヒンドゥ教の聖地の中でも最も神聖視されている地である。
「死ぬならバラナシで死にたい」と老い先短い人などが、何日もかけて歩いてこの地にやってくることも多い。
そのヒンドゥ教徒にとっての「聖地」にも、ヒンドゥ教徒だけが暮らしている訳ではない。
そして、この町に住む異教徒にとっては、バラナシは聖地でもなんでもなく自分が暮らすインドの町の一つであろう。
またヒンドゥ教は日本の神道に通ずるところがあり多神教の宗教である。 人々は自分の好きな神様を祀り、像やブロマイドを飾ったりしているが、イスラム教は唯一神アラーのみを神と認め偶像崇拝を禁止する。 信仰のあり方が正反対ともいえるかもしれない。
インド全土で宗教対立の話はよく聞かれるが、この町はヒンドゥ教徒にとって非常に意味のある町であるだけに、対立が最も激しくなるのだと思われる。
私は多くの日本人と同じように「宗教は?」と聞かれれば「仏教」と答えるし、七五三もやったし、初詣も行くし、キリスト教式の結婚式に招待されても出席するし、というなんちゃって仏教徒で、平和で自由な時代に生まれた日本人である。
だから、「そんなの他人の宗教は尊重しあって、共存すればいいじゃん」と気楽に考えてしまうが、そういう問題ではないのだろう。
「外出禁止令って、一体なんですか?」
「暴動が起こって危ないから宿から出ちゃだめってことみたいですよ。僕は今のうちにバラナシをでます。」
ってことは、暴動起こすぞ~っておふれが町中に出てくるっていうことか。
日本で起こるのはせいぜい抗議のデモ行進くらいで、外出禁止っていうほどの暴動自体想像ができない。
「今日だけで、明日は大丈夫みたいですよ~」
って、そういうモノなの???
結局、この日はほとんど1日中ガンガーのほとりにいるしかなかった。
昼にさしかかる頃には、通り沿いの店のシャッターがすべて閉められた。
人通りもびっくりするくらい少なく、人の気配を感じて振り返ると、険しい顔をした男が集団でざっざっざっと行き交っている。
怖くなって一目散に川っぷちに駆け戻った。迷路みたいに入り組んだこの町で、憶えた手の細い路地を走って走って川まで戻った。
だって、警官ですら、狭い路地裏に入り込んでおとなしくしていたもの。
川に戻った我々は、一日中ガンガーのほとりから離れず、洗った洗濯物を乾かしたり(ガート近くのコンクリに並べていると早く乾く)、インド人の男の子(朝のビンディ売りの子の連れ)と話していたりしていた訳だが、そんな我々のそばを通ったボートの乗客(欧米系などの観光客)は、我々を見てかしゃかしゃとシャッターを切った。
外出禁止で殺伐としている町が背後にあるのに、一方でビデオやカメラを片手にボートから沐浴見物をする観光客。
そして、その人たちに写真を撮られたあたしたち(インド人と外国人の交流か?)。このギャップには脱力した。
川の向こうは安全ってか?ガイドさんも慣れたもんなんですかね。
結局、この日は大きな暴動にはならなかった様だが、あの張りつめた町の雰囲気は忘れられない。
デリーで出会った旅行代理店のボスは、私に「カルチャーショックを受けてこい!」と言った。
思えば私は確かにカルチャーショックを受けたと思う。
路上に、路地裏にどどーんとのさばる聖なる牛。
聖なる牛の排泄物をこねくり回すご婦人(乾かして燃料にする)。
聖なるガンジスで沐浴する人々。
そして、「外出禁止令」もどき。
日本での信仰ってどちらかというと生活習慣の中に溶け込んでしまっているため、宗教をそれほど意識することなく過ごす。
だから、ここまではっきりと宗教観を出した世界というのを初めて見たので、新鮮に映ったのだと思う。
暴動というのは、2日目に町を歩いているときに聞いた噂である。
バックパックを背負った一人の日本人青年が声をかけてきたのだ。
「今日ここで暴動が起こって外出禁止令が発令されるらしいですよ。知ってました?」
・・・は???
外出禁止令って一体なに?っていう世界。
バラナシはインド全国にあるいくつかのヒンドゥ教の聖地の中でも最も神聖視されている地である。
「死ぬならバラナシで死にたい」と老い先短い人などが、何日もかけて歩いてこの地にやってくることも多い。
そのヒンドゥ教徒にとっての「聖地」にも、ヒンドゥ教徒だけが暮らしている訳ではない。
そして、この町に住む異教徒にとっては、バラナシは聖地でもなんでもなく自分が暮らすインドの町の一つであろう。
またヒンドゥ教は日本の神道に通ずるところがあり多神教の宗教である。 人々は自分の好きな神様を祀り、像やブロマイドを飾ったりしているが、イスラム教は唯一神アラーのみを神と認め偶像崇拝を禁止する。 信仰のあり方が正反対ともいえるかもしれない。
インド全土で宗教対立の話はよく聞かれるが、この町はヒンドゥ教徒にとって非常に意味のある町であるだけに、対立が最も激しくなるのだと思われる。
私は多くの日本人と同じように「宗教は?」と聞かれれば「仏教」と答えるし、七五三もやったし、初詣も行くし、キリスト教式の結婚式に招待されても出席するし、というなんちゃって仏教徒で、平和で自由な時代に生まれた日本人である。
だから、「そんなの他人の宗教は尊重しあって、共存すればいいじゃん」と気楽に考えてしまうが、そういう問題ではないのだろう。
「外出禁止令って、一体なんですか?」
「暴動が起こって危ないから宿から出ちゃだめってことみたいですよ。僕は今のうちにバラナシをでます。」
ってことは、暴動起こすぞ~っておふれが町中に出てくるっていうことか。
日本で起こるのはせいぜい抗議のデモ行進くらいで、外出禁止っていうほどの暴動自体想像ができない。
「今日だけで、明日は大丈夫みたいですよ~」
って、そういうモノなの???
結局、この日はほとんど1日中ガンガーのほとりにいるしかなかった。
昼にさしかかる頃には、通り沿いの店のシャッターがすべて閉められた。
人通りもびっくりするくらい少なく、人の気配を感じて振り返ると、険しい顔をした男が集団でざっざっざっと行き交っている。
怖くなって一目散に川っぷちに駆け戻った。迷路みたいに入り組んだこの町で、憶えた手の細い路地を走って走って川まで戻った。
だって、警官ですら、狭い路地裏に入り込んでおとなしくしていたもの。
川に戻った我々は、一日中ガンガーのほとりから離れず、洗った洗濯物を乾かしたり(ガート近くのコンクリに並べていると早く乾く)、インド人の男の子(朝のビンディ売りの子の連れ)と話していたりしていた訳だが、そんな我々のそばを通ったボートの乗客(欧米系などの観光客)は、我々を見てかしゃかしゃとシャッターを切った。
外出禁止で殺伐としている町が背後にあるのに、一方でビデオやカメラを片手にボートから沐浴見物をする観光客。
そして、その人たちに写真を撮られたあたしたち(インド人と外国人の交流か?)。このギャップには脱力した。
川の向こうは安全ってか?ガイドさんも慣れたもんなんですかね。
結局、この日は大きな暴動にはならなかった様だが、あの張りつめた町の雰囲気は忘れられない。
ちなみに、インドに来てバラナシ行かないでどうするんだよ!バラナシでカルチャーショックうけてこい!と言い放った
デリーの旅行代理店のボスだが、彼はイスラム教徒であった。
「あなたもガンジス川で沐浴するの?」と問えば、「しないよ。だって、汚ったねぇじゃん。」である。
ガンジスは聖なる川という刷り込みがあったけど、こうもはっきりと「汚ぇ」と言われると、ぽかんとしてしまった。
バラナシを去る日、サイクルリキシャ、オートリキシャ、人、露店、様々なものをかき分け、駅までの道を進んだ。
ふと気付くと、1人の老人が私にぴったりついて来ていた。
どうせ物売りだろう。話半分で無視していたのだが、ふと、老人の言葉が耳に入った。
「私は哀れな老人です。今日のご飯を食べるためにRs.50ください」
なんと彼は物乞いだった。予想もしてなかった展開にビックリしてしまった。
だって、今までいた物乞いは道路の隅っこに座って「1ルピー、1ルピー」と言っているだけで、ついて来たりしなかったから。
Rs.50と言えばここバラナシでの宿代である。
いきなり、そんな大金を提示されてむかついてしまった。1ルピーと言われてお金をあげたことだって一度もないくせに。
「Rs.50?ふざけないでよ。No!」
何日もインドにいると、金銭感覚がインドのそれである。
すると、老人はものすごい形相でにらみつけ、「何故だ!」ときつく腕をつかんできた。
突然触られてことでものすごく怖くなってしまい、「さわらないで!」と老人の手を振り払ってしまったのだが、よくよく考えると私も悪かったのかもしれない。
ずっと曖昧に適当な返事をしていたからその老人は期待してついてきていたのだ。
がりがりにやせ細って、今にも倒れそうなその人を何十メートルもいや何百メートルも歩かせてしまった。
Rs.50と言えば180円くらいに過ぎない(当時のレートで)。
それくらいあげても良かったなと思ったりもするのだが、でもこの人だけにRs.50をあげるのはなんだか腑に落ちないし、Rs.50を日本円に換算するのもなんだか納得いかず葛藤した。
腕を捕まれた瞬間、その腕を振り払ってしまったのは、私の本性だろう。
勝手に人の国にやってきて面白がって町を見物して、そして、こういう場面に合うと狼狽し醜い感情が見え隠れする。
そんな自分に初めて気づいた。
最後の最後まで、カルチャーショックは受けっぱなし。
インドのことを「人生観変わる」とかいうお定まりのうたい文句で語るのには興ざめするが、
確かに日本の生活と比べるとまるで違うので、カルチャーショックは受けることでしょう。
ちなみに暴動云々とか立ち入り禁止令とかについてはバラナシだけでなくマトゥラーでも遭遇したことがあります。 そちらもやっぱりヒンドゥの聖地です。
デリーの旅行代理店のボスだが、彼はイスラム教徒であった。
「あなたもガンジス川で沐浴するの?」と問えば、「しないよ。だって、汚ったねぇじゃん。」である。
ガンジスは聖なる川という刷り込みがあったけど、こうもはっきりと「汚ぇ」と言われると、ぽかんとしてしまった。
バラナシを去る日、サイクルリキシャ、オートリキシャ、人、露店、様々なものをかき分け、駅までの道を進んだ。
ふと気付くと、1人の老人が私にぴったりついて来ていた。
どうせ物売りだろう。話半分で無視していたのだが、ふと、老人の言葉が耳に入った。
「私は哀れな老人です。今日のご飯を食べるためにRs.50ください」
なんと彼は物乞いだった。予想もしてなかった展開にビックリしてしまった。
だって、今までいた物乞いは道路の隅っこに座って「1ルピー、1ルピー」と言っているだけで、ついて来たりしなかったから。
Rs.50と言えばここバラナシでの宿代である。
いきなり、そんな大金を提示されてむかついてしまった。1ルピーと言われてお金をあげたことだって一度もないくせに。
「Rs.50?ふざけないでよ。No!」
何日もインドにいると、金銭感覚がインドのそれである。
すると、老人はものすごい形相でにらみつけ、「何故だ!」ときつく腕をつかんできた。
突然触られてことでものすごく怖くなってしまい、「さわらないで!」と老人の手を振り払ってしまったのだが、よくよく考えると私も悪かったのかもしれない。
ずっと曖昧に適当な返事をしていたからその老人は期待してついてきていたのだ。
がりがりにやせ細って、今にも倒れそうなその人を何十メートルもいや何百メートルも歩かせてしまった。
Rs.50と言えば180円くらいに過ぎない(当時のレートで)。
それくらいあげても良かったなと思ったりもするのだが、でもこの人だけにRs.50をあげるのはなんだか腑に落ちないし、Rs.50を日本円に換算するのもなんだか納得いかず葛藤した。
腕を捕まれた瞬間、その腕を振り払ってしまったのは、私の本性だろう。
勝手に人の国にやってきて面白がって町を見物して、そして、こういう場面に合うと狼狽し醜い感情が見え隠れする。
そんな自分に初めて気づいた。
最後の最後まで、カルチャーショックは受けっぱなし。
インドのことを「人生観変わる」とかいうお定まりのうたい文句で語るのには興ざめするが、
確かに日本の生活と比べるとまるで違うので、カルチャーショックは受けることでしょう。
ちなみに暴動云々とか立ち入り禁止令とかについてはバラナシだけでなくマトゥラーでも遭遇したことがあります。 そちらもやっぱりヒンドゥの聖地です。