旅の恥は掻き捨てならぬ。山に行く日本人もいろいろいる。
乗り合いミニバス。
ちょうど私が麓のラワルピンディから夜中に走り抜けた辺り(ダッソー、チラス)までは、山の腹のど真ん中を無理矢理削り取ったように道が走っており、インダス川は昼間でも車窓から全く確認できないほど遙か下方を流れていた。
それがギルギットまで上がる頃には、幅広でゆったりとした流れの川岸が目の前に現れ、河原に降りることもできるようになる。
川の水に手を触れると凍り付くような冷たさ。氷河が今まさに溶けて流れ出来た川なので、氷水です。
「飲まないの?ところで、そのペットボトルの水はいくら?」
「25ルピーもするの?うわ、信じらんない」
そんなこと言いながら、ドライバーのアブドゥルは、河原にしゃがみ込みさっと水をすくって飲み干した。
別名?風の谷のカリマバードを抜けしばらく走ると、山の表情は一変する。
「こう、なんていうか、岩が鋭く切り立ってるんだよね。」
というのは、ツーリストコテージのケイコさん談。
事実、標高が上がるに連れ、緑らしい緑は姿を消していき、岩山に囲まれていく。
そして時々、その岩山をえぐっただけのトンネルの様な道を走り抜けたりするから、怖い。
ハワイのビッグウェーブみたいに岩が車の上に覆い被さっているのだ。
日本の山のトンネルの様にコンクリでぴっちり固めたワケでもなく、岩を削り取って無理矢理に道にしているというか、 崩れ落ちた岩をそのまま利用して、道として使っているというか。とにかく、ワイルド。
崖崩れ注意!なんて言われなくてもわかる。こわー。
そんなこんなで寄り道しながら、ジープは今回の最終目的地パスーに着いた。
カラコルムハイウェイ、パスー
月明かりの下で
本格的な装備のない素人でも歩いてほんの数時間で氷河にたどり着くので、大荷物を持たずに日帰りトレッキングも可能だ。
反対にいうとトレッキングをするつもりのない人は少々手持ちぶさたに感じるかもしれない。
美味しい食べ物を出すレストランがあるわけでもなく、豪華な宿があるわけでもなく、カラコルムハイウェイに沿って簡易な宿が並ぶ小さな村に過ぎないからだ。
私はそのシンプルな雰囲気が無性に気に入った。
鳥のさえずりや小川のせせらぎに耳を傾けていただけの日中。刺すような冷たい空気の中で、黙って見上げた月の明かるさ。なんにも邪魔されず、ただ静けさの中に身を置くこの贅沢な空間は、普段ではあり得ない。
非日常という意味では日本でもパキスタンの他の都市でも充分味わえるんだけども、 ギルギットで日本人に囲まれていたところからの移動なのも往々にして影響しているかも知れない。
ところで、このパスーで泊まった宿のオーナーはとってもおしゃべりな髭オヤジ。この親父がやたらと日本人を褒める。
あまりにこそばゆいのもあったのか、S美さんは親父を試すような質問を投げかけた。
「じゃあさ。あなたは日本人をパートナーにしたいって思う?」
この場合のパートナーは、お嫁さんという意味ではない。仕事上のパートナーとして認めるかという意味だ。
「日本人を仕事のパートナーにするのは悪くないと思うよ。日本人はまじめだし無駄遣いもしない。
きっと上手くやっていける。それにものすごくきちんとしてる。パートナーとして申し分ないね。」
きちんとしてるっていうのはどういう意味だろうか?
「例えば、ここに灰皿とライターがあるだろ。日本人がこのテーブルに座って煙草を吸っているとする。
彼が煙草を吸い終わって席を立つとき、彼はライターを灰皿の横に並べて置いていくよ。」
「これが他の国の人間だと違う。灰皿から灰が飛び散っていたり、ライターが放り出されていたり、
二つ揃えて置くなんてまずないね。そのくらい日本人はきちんとしてるんだよ。」
「日本人のお客が使った部屋を掃除するのも楽なんだよ。ゴミはまとめておいてくれたりするしさ。
欧米人よりも日本人に泊まって欲しいと思うね」
建設中の宿の部屋。
でも、ホテルの部屋をぐちゃぐちゃの状態にするほうが難しくない?旅の荷物って限られてるし、散らかしようがないと思うのだが。
そういう私にS美さんはこうのたまった。
「私、今まで欧米人の女の子と部屋をシェアしてきたじゃない?彼女らってテキトーだよ。お金を払って自分が借りているっていう意識が強いと思う。
バックパックもやたらと大きいけど、無造作に荷物を放り込んでるだけ。
たいした量でもないからちゃんと入れればもっと小さい鞄でも充分だよ。」
「シャツを鞄にしまうためにくるくる巻いてたら、「何それ!面白い!」ってマネしてた。
要するに、最初からコンパクトにまとめるという感覚がないみたい。」
全ての日本人がきちんとしているわけでもないし、全ての欧米人(この彼女はカナダ人)ががさつなワケでもないはすだが、1人のバックパッカーの行動を例にとってみてもこれほど違うということらしい。
ここからは私の勝手な想像だが、欧米人はバカンスで旅行をする人が多いのではと思う。
一生懸命働いて働いて休暇を取り、お金も時間も贅沢に使ってリフレッシュする人も多いだろう。
日本人って普段も忙しいくせに休みも短いし、そういうのんびりした過ごし方に慣れてない上に、
バカンスをしたいと考える人は、パキスタンの山奥を選ばない気がする。なんか、綺麗な海に行きそうだもん。
ここに来る人は山登りとかトレッキングとかが大好きな人で、往々にしてそういう人は登山家としてのマナーをしっかり守るだろう。
つまり平均的にきちんとしている日本人が来ているのではなかろうか。
ポーター雇って荷物を運ばせたり、ヘリを使う前に、自分たちでおにぎり作ってお弁当を持っていきそうな、そういう堅実な人間が多そうな気がするのだ。 お金を湯水のように使うような人たちはここには来ないだけだと思うよ。(あくまでも勝手な想像。)
ところで、後で聞いた話だが、親父は私が独身かどうかも伺っていたとか。
思えば、やたらとフンザをアピールしていた。
「フンザはいいぞ。夏は清々しいし、冬の間は雪景色が綺麗だ。
日本で子供を育てるのはお金がかかるんだろ?ここは学校もただだし、ちっともお金かからないぞ。」
「日本人の女の子が下の村にお嫁に来たんだよ。彼女はここの暮らしをとても気に入ってる。」
「雪景色がきれいってレベルじゃないでしょ。」と反論すれば、「冬は外に出なければいいだけ。」っておいおい。
この山の冬の厳しさは北海道より厳しいと思うが・・・。(北海道は少なくともストーブとかで暖まれるし温泉もある!)
とにかく、日本人は仕事のパートナーだけでなく、嫁候補としてもOKらしいね。
今までは海外で声をかけられると、「日本=お金を持っている」とか、「日本人=騙されやすい」とか、偏見から来る思いこみ、勘違いだと思っていて、例え褒められたとしても、素直に受け取ることなどなかったのだけども、 今回の彼の話のように、ここを訪れた日本人たちが彼らに良い印象を与えてくれていたことで、日本人に対して好感を持ってくれることもある。
こそばゆい想いと共に、我々の同胞に感謝の気持ち。
そして、海外では一個人としてではなく、日本人という人種として大きくくくられることが多いので、
自分の行動がまた次にここを訪れる人にも影響するって身にしみました。
そして後日。
パスーへの旅から帰った後、ギルギットのとあるアクセサリーショップで店員と会話していた時のこと。
「この前店に日本人女性が来て「チャラスない?」って言ってきた。君はやるのか?」と聞かれてのけぞった。
「やらないならその方がいい。全くあのときはビックリしちゃったよ。」
やたらに正義ぶっていたので、「おお、アツイやつだな~。」と思ったのもつかの間。
他の店員が所要で店を出て二人きりになると、彼は私にこう言い放った。
「この前、日本人が「お金がない」って僕のところに来たんだよ。だから1000ルピーあげたんだ。
どう?君にも1000ルピーあげるからやらせてくれない?
1000ルピーで足りないなら、この店の宝石を好きなだけ持っていっていいからさ。」
パスーでいい話を聞いた後なだけにがくっときましたよ。私は。まいったなぁ。
残念なことに、日本人もいろいろなのよ親父さん・・・。
カラコルムハイウェイ パスーの写真
シビアな立地の畑
細かい石壁に囲まれた5メートル四方くらいの畑は、小さな要塞のよう。
しっかし、これは、大変な労力がいる。日本はこんなに高い場所がないし、段々畑も棚田ももうちょっと斜面が緩やかだ。(そもそも、日本って国土全体が恵まれていると思うが)
牛くんは侵入者にただならない気配を感じた模様→
カラコルムハイウェイ パスー氷河
ほんとに目の前にあるので、歩いてすぐ行けるような気がするが、辺りに広がる藪が結構手強くて15分ほど行ったところで断念。氷河にたどり着くまで、普通に行って1,2時間はかかるらしい。
夜はものすごく気温が下がるのでパスーに宿泊し、午前中に出た方が無難。
右は、その氷河が溶けて出来た川です。はっきり言って氷水です。
パスーの町は、こんなのに囲まれてるのだ。
このちっぽけな小屋が泊まった宿。後ろも前も切り立った山。朝日を浴びた山の神々しさも、夜中に見上げた月明かりの明るさも、この場所だからこそ味わったと言う感じ。
雲が流れてくると一面日陰になって、気温がぐぐっと下がったりするんですよ。当たり前だが雲も近い。
雲が流れてくると一面日陰になって、気温がぐぐっと下がったりするんですよ。当たり前だが雲も近い。