ラホールからアムリトサル。パキスタン・インドを列車で国境越え。
「部屋の鍵が隣の部屋と一緒だった事件」の勃発により、早々にラホール出発を決めた。
ザックを担いでラホールを観光するくらいなら、インドに入ってアムリトサルで黄金寺院を見る方がましである。
ラホールからインドに戻る方法は、飛行機、列車、バス+徒歩と3通りあるが、先の2つの手段が毎日なのに対し、
列車は火、金の週2日、しかも早朝のみの運行。
この日はたまたま金曜日だったことが幸い。私は、朝7時半出発の列車でインドに戻ることにした。
宿から、乗り合いリクシャにてラホール・シティ駅にたどり着くと、まずは改札へ向かう。
ガイドブックには「入場料5ルピーを払ってホームに入り、ホームで切符を買う。」なんて書いてあったが、
実はこの国境行きの列車は、切符売り場も改札もシティー駅構内の端っこにおまけのように作られており、
パキスタン内陸行きの列車とはホームこそ繋がっているが完全に別の路線扱いになっている。
簡単に言えば、JRの新宿駅から山手線に乗るのに小田急線の新宿駅の改札から入場してしまえば入場料取られるじゃないですか。 そんな感じに見えた。
駅員から切符売り場の場所を教わり、国境の駅ワガ行きの切符を購入。
料金は40ルピーなのに切符には36ルピーと記されているあたりがミソ。料金改定ごときで切符も刷り換えなんてしない。
旅客車イメージ図
貨物列車イメージ図
改札を通り抜けると、目の前に4両編成の列車が止まっていた。
列車には窓がない。
各車両に2つずつある鉄製の扉は上半分が観音開き、下半分は両端にある留め具をはずすと手前に開く。
・・・見た目はどう考えても貨物列車である。
「あのう・・・ワガ行きってこの列車でいいんですか?」
「そうですよ。」
客車が牽引されてないオール貨物室の列車。これがワガ行きだった。
しかもプラットホームは地面と同じ高さに作られており、ただでさえ車輪と台車の高さで車体の位置が高いのに、
よりによって扉の下半分はしっかりと閉められていた。みなさんどうやって乗車したのだろう。
まず、重ーいザックを担いで投げ入れた。
深呼吸をふぅ~っっと一呼吸。
「さぁ、飛び乗るぞー!」と気合いを入れたところで、あちこちから差し出される親切な手。
さ~すがイスラム国家。最初から最後まで女性には優しい国だったなぁなんて思いながらしっかりその手を握りしめると、
この重い体もあっという間に列車に吸い込まれていった。
(※ こんなシチュエーションじゃどんな国でも助けてくれると思いますが、パキスタンは親切を受けっぱなしだったから。)
列車は乗り込んでから5分もしないうちに動き出した。窓がないので扉は開けたままである。
そもそも貨物列車というものは人間ではなく荷物を運ぶ物であり、扉は閉めて走る作りだ。
列車の揺れに併せて勢いよくバタン、バタンと閉まる扉をなんとか開けとこうと悪あがきをする男が一人。
だって、閉まっちゃうと真っ暗闇だもの。
そして、当たり前だが座席はないし、床にはシート一つ張ってない。
扉から漏れる光の当たる場所はほんのわずかで、暗くて自分の足下すらよく見えない。
ぐちょぐちょに汚れているのか、綺麗なのか、単にさびてるのかわからないから誰も床には座れない。
各々持ち込んだ荷物を座席代わりに座り込むか、バランスを保ちながら必死で立っていた。(当然、つり革もありません。)
同じ車両に乗り合わせたインド人の男が、思わず口走った言葉がとても印象的。
「こんな経験初めてだぜ!しんじられん!」
はい、インド人もびっくり!!(笑)
出発から約1時間後、列車のスピードが徐々に落ち始めると、それを合図に若い男が徐々に扉付近に集まりだした。
そして、国境の駅、ワガにたどり着くと、列車を飛び降り一斉に猛ダッシュ!
「ええ?私も走らないとだめ?」と一瞬焦ったが、実は荷物用のカートの争奪戦で、「俺が先にとった」「イヤ俺のもんだ!」と押し合いへし合いケンカにまでなっていた。
落ち着いてよーく見てみると、皆さん「引っ越し?」と聞きたくなるくらいの大荷物なのである。
この路線を貨物にしてるのも、この荷物の多さに配慮したところもあるのだろう。
イミグレーションでは、パキスタン人、インド人と外国人の窓口は別に設けられていた。
パキスタンに入国の時は、荷物検査はあっさりしたもので、「お酒持ってる?」「持ってない。だって飲まないもん」「あ、そう。行ってよし」ってあっさり終わったのに、出国はかなり厳密。荷物の中身を全てひっくり返された。
調べられても問題ない。違法な物など何も持ってないのだから。だけど、全ての人間にこれをするのには参った。
先に書いたように、パキスタンの人々は「引っ越し?」って感じの大荷物である。
布団袋のような大きな包みが2つ3つ。バッグも数個。おまけに山羊までいるんですけど・・・。
そして、その大荷物を何十人分も徹底的に調べるのである。
ラホールを出発したのが7時半。ワガに着いたのが8時半。
ワガで待機していたインドの列車(ちゃんとした旅客車だった)がワガを出たのは14時すぎである。
つまり、全員が通関を完了するのに5時間近くかかったってわけ。
インド国境の町、アタリ駅には14時半着。インドの通関も混んだとはいえ、15時には入国できた。
これは外国人が少なかったおかげかな。私とドイツ人男性ともう1人。3人だけだったから。
ちなみにインドの入国カードは英語バージョンだったので、「外国人は英語がわかるだろう!」という思いこみを持ったインド人(もしくはパキスタン人)に入国カードを書いてくれとさんざんせがまれました。
入国カードに書いてある言葉は読める。意味もわかる。
だけど、あなたの名前を、住所を口頭で言われても、綴りがわから~~ん。
彼らのパスポートを見ながらがんばってはみたが、途中で聡明そうなインド人カップルに押しつけて逃げ去ったのでした。
バスで国境越えをするとイミグレ職員に嫌がらせをされるそうですが、列車にするととてつもなく手続きに時間がかかります。
面白い経験ではあったけど、さて、次に行くことあったらどっちにしようかな~。
早いのは間違いなくバスで陸路国境越えか、飛行機です。
ザックを担いでラホールを観光するくらいなら、インドに入ってアムリトサルで黄金寺院を見る方がましである。
ラホールからインドに戻る方法は、飛行機、列車、バス+徒歩と3通りあるが、先の2つの手段が毎日なのに対し、
列車は火、金の週2日、しかも早朝のみの運行。
この日はたまたま金曜日だったことが幸い。私は、朝7時半出発の列車でインドに戻ることにした。
宿から、乗り合いリクシャにてラホール・シティ駅にたどり着くと、まずは改札へ向かう。
ガイドブックには「入場料5ルピーを払ってホームに入り、ホームで切符を買う。」なんて書いてあったが、
実はこの国境行きの列車は、切符売り場も改札もシティー駅構内の端っこにおまけのように作られており、
パキスタン内陸行きの列車とはホームこそ繋がっているが完全に別の路線扱いになっている。
簡単に言えば、JRの新宿駅から山手線に乗るのに小田急線の新宿駅の改札から入場してしまえば入場料取られるじゃないですか。 そんな感じに見えた。
駅員から切符売り場の場所を教わり、国境の駅ワガ行きの切符を購入。
料金は40ルピーなのに切符には36ルピーと記されているあたりがミソ。料金改定ごときで切符も刷り換えなんてしない。
旅客車イメージ図
貨物列車イメージ図
列車には窓がない。
各車両に2つずつある鉄製の扉は上半分が観音開き、下半分は両端にある留め具をはずすと手前に開く。
・・・見た目はどう考えても貨物列車である。
「あのう・・・ワガ行きってこの列車でいいんですか?」
「そうですよ。」
客車が牽引されてないオール貨物室の列車。これがワガ行きだった。
しかもプラットホームは地面と同じ高さに作られており、ただでさえ車輪と台車の高さで車体の位置が高いのに、
よりによって扉の下半分はしっかりと閉められていた。みなさんどうやって乗車したのだろう。
まず、重ーいザックを担いで投げ入れた。
深呼吸をふぅ~っっと一呼吸。
「さぁ、飛び乗るぞー!」と気合いを入れたところで、あちこちから差し出される親切な手。
さ~すがイスラム国家。最初から最後まで女性には優しい国だったなぁなんて思いながらしっかりその手を握りしめると、
この重い体もあっという間に列車に吸い込まれていった。
(※ こんなシチュエーションじゃどんな国でも助けてくれると思いますが、パキスタンは親切を受けっぱなしだったから。)
列車は乗り込んでから5分もしないうちに動き出した。窓がないので扉は開けたままである。
そもそも貨物列車というものは人間ではなく荷物を運ぶ物であり、扉は閉めて走る作りだ。
列車の揺れに併せて勢いよくバタン、バタンと閉まる扉をなんとか開けとこうと悪あがきをする男が一人。
だって、閉まっちゃうと真っ暗闇だもの。
そして、当たり前だが座席はないし、床にはシート一つ張ってない。
扉から漏れる光の当たる場所はほんのわずかで、暗くて自分の足下すらよく見えない。
ぐちょぐちょに汚れているのか、綺麗なのか、単にさびてるのかわからないから誰も床には座れない。
各々持ち込んだ荷物を座席代わりに座り込むか、バランスを保ちながら必死で立っていた。(当然、つり革もありません。)
同じ車両に乗り合わせたインド人の男が、思わず口走った言葉がとても印象的。
「こんな経験初めてだぜ!しんじられん!」
はい、インド人もびっくり!!(笑)
出発から約1時間後、列車のスピードが徐々に落ち始めると、それを合図に若い男が徐々に扉付近に集まりだした。
そして、国境の駅、ワガにたどり着くと、列車を飛び降り一斉に猛ダッシュ!
「ええ?私も走らないとだめ?」と一瞬焦ったが、実は荷物用のカートの争奪戦で、「俺が先にとった」「イヤ俺のもんだ!」と押し合いへし合いケンカにまでなっていた。
落ち着いてよーく見てみると、皆さん「引っ越し?」と聞きたくなるくらいの大荷物なのである。
この路線を貨物にしてるのも、この荷物の多さに配慮したところもあるのだろう。
イミグレーションでは、パキスタン人、インド人と外国人の窓口は別に設けられていた。
パキスタンに入国の時は、荷物検査はあっさりしたもので、「お酒持ってる?」「持ってない。だって飲まないもん」「あ、そう。行ってよし」ってあっさり終わったのに、出国はかなり厳密。荷物の中身を全てひっくり返された。
調べられても問題ない。違法な物など何も持ってないのだから。だけど、全ての人間にこれをするのには参った。
先に書いたように、パキスタンの人々は「引っ越し?」って感じの大荷物である。
布団袋のような大きな包みが2つ3つ。バッグも数個。おまけに山羊までいるんですけど・・・。
そして、その大荷物を何十人分も徹底的に調べるのである。
ラホールを出発したのが7時半。ワガに着いたのが8時半。
ワガで待機していたインドの列車(ちゃんとした旅客車だった)がワガを出たのは14時すぎである。
つまり、全員が通関を完了するのに5時間近くかかったってわけ。
インド国境の町、アタリ駅には14時半着。インドの通関も混んだとはいえ、15時には入国できた。
これは外国人が少なかったおかげかな。私とドイツ人男性ともう1人。3人だけだったから。
ちなみにインドの入国カードは英語バージョンだったので、「外国人は英語がわかるだろう!」という思いこみを持ったインド人(もしくはパキスタン人)に入国カードを書いてくれとさんざんせがまれました。
入国カードに書いてある言葉は読める。意味もわかる。
だけど、あなたの名前を、住所を口頭で言われても、綴りがわから~~ん。
彼らのパスポートを見ながらがんばってはみたが、途中で聡明そうなインド人カップルに押しつけて逃げ去ったのでした。
バスで国境越えをするとイミグレ職員に嫌がらせをされるそうですが、列車にするととてつもなく手続きに時間がかかります。
面白い経験ではあったけど、さて、次に行くことあったらどっちにしようかな~。
早いのは間違いなくバスで陸路国境越えか、飛行機です。