初インド一人旅はエアインディアでけだるい彼との出会いから。
三度目のインド。三回目にして初めてひとり旅のインドである。
エアインディアに乗るのも1年ぶり。
スッチーがサリーなのも、離陸前にまずパックの飲み物を配るのも、乗務員が全体的にハイエイジなのも同じ。
どたどたと通路をかけずり回って、落ち着きに欠ける彼女たち。のっけからインド気分を盛り上げてくれる。
私は今回も例に漏れず、荷造りに何時間もかけてしまった。
いつも持っていくモノは同じなのに、いちいち指さし確認。ホント、典型的なA型である。 一つ一つ必要性を吟味し、重さを削れるモノは徹底的に削るのだ。
旅先から送る絵はがきのために、システム手帳からアドレス帳を抜き取る。
ガイドブックは北インドの一部分を残し、必要のないページは取り外した。
すでに職場の業務用パンチで穴開けは完了しており、今回の最新兵器プラスチック製のファイルシートと リング代わりの止具でオリジナルな本に仕立て上げる。
さらにパキスタンに行きたくなったときのために、国境越えの情報は別の本の該当部分を1/4に縮小、両面コピーし挟み込む。 コピー用の上質紙は厚いから侮れないのだ。
全てがこんな調子なので、どんなに早く準備を始めても終わるのはいつも真夜中。 お陰様で忘れ物だけはない。
「エクスキューズミー!!」
ドタドタドタ・・・。相変わらずばたばたしているエアインディアのスタッフ。
ああ、眠いのに寝かせてくれない~。どうやらタイの入国カードを配っているようだ。
「バンコク?タイランド?」との問いに首を振るだけ振ると、眠るのを諦めてガイドブックを開いた。
半分以下の重さに減らした満足感でいっぱいなため、ついつい手にとってしまうのだ。
「インドまで行かれるんですか?」と、隣の青年が流暢な日本語で話しかけてきた。
初めての人と話すのが苦手だし、加えて隣は外国人だから緊張していたのだが、いきなりの日本語にびっくり。
彼は日本の某企業に勤めるインド人のサラリーマンで、3週間の休みを取ってムンバイの実家に帰省するところだそう。名をケダール君という。
「日本語だと気怠いって感じの意味になっちゃうから、やなんだよねぇ」というあたり、かなり日本語を習得している。
最初のとっかかりがスムーズに行くと心の壁のようなモノが取れ、途端に仲良くなってしまった。
彼はコンピュータープログラマーだそうで、「あ、やっぱり。インド人だわ」と単純に納得してしまった。
現在、コンピュータソフトウェアの分野では、インドが急成長しているというが、それに関わる人に初めて出会った。
「日本に来て最初ダメだったのは、会社の独身寮の大浴場。昼間隣のデスクで働いている人の前で
裸になるというのに抵抗があった。今は大丈夫。温泉も好き。」
「テレビは何でも見るけど、特にバラエティがすき。志村ケンがわかりやすくて面白い。
それとアメリカンジョークはダメだね。わざとらしくてついていけないよ。日本のギャグがいいね」
「食べ物は何でも好き。肉はインドではあまり食べないけど、日本では食べる」
しかもヒンドゥ教徒のくせにマックも行くらしい。インドのではなく、日本の!だって牛だよ!
博多ラーメンが妙に気に入っていて、替え玉という制度にいたく感動していた(笑)
なんかすごく楽しい。 ただ言葉が通じるから楽しいのではなく、日本に興味を持って、日本を知っている外国人としゃべっているからだ。
逆に、彼の方も同じ事を思っていたのではないだろうか。 インド通いをしている日本人はたくさんいるけど、日本で普通に生活していてもそうそうお目にかかれないだろうから。
私もここぞとばかりにインドに関することを質問責め。彼も嬉しそうに答えてくれる。
私の知っているガネーシャの伝説?は正しいか。簡単なヒンディー語のやりとり方法(旅で使える文句の言い方)。
おすすめのインドの食べ物。映画の楽しみ方。クリケットのルール。
そんな事を話しているウチにあっという間にバンコクに着いてしまった。
バンコク経由のこの飛行機では、バンコクで乗客の半分以上が降りていった。
インドまで行く者は外へ出るのも機内を歩き回ることさえ許されず、ひたすら自席で機内清掃が終わるのを待つ。
すると私の前の席のインド人とおぼしき中年男性が清掃係のタイ人ともめ始めた。
どうやらトイレに立った隙に席に置いておいた本を片づけられてしまったらしい。
すぐさま英語の分かるスタッフが飛んできて、彼の本を探し出してきた。
持ってきた本の表紙には「日本語検定2級」の文字。えええーっ?
「日本のどこで働いてるの?」
ケダール君ともすっかり意気投合してしまった日本語検定受検おじさん。
バンコクからデリーまではこのおじさんもトークに加わり、旅の始めからすっかり日本語付いてしまったワタシ。
いつも飛行機の中ではおぼつかない英語らしき言葉であたふたしているのに。・・・今回は一体、何だろう。
このおじさんはHONDA(INDIA)のマネージャーで、日本に勉強のために出向してちょうど1年。
10月には日本語検定2級の試験が控えていて、こうして機内でも勉強しているとのこと。
1年で日本語検定2級に合格するのは結構すごいことらしい。(ちなみにケダールはすでに2級を持っていた。)
月給は60万円。デリーに住んでいる。当然、高級住宅街だろう。
「給料35万くらいもらってるの?」って、もらってません!
飛行機で出会う時点でわかる事だが、なんだかんだ言ってケダール君も育ちがいいっぽい。
「デリーのホテルはよくわかんないけど、400ルピー以上の部屋に泊まれば間違いないよ。
それにホテルの電話番号が二つ以上有ればなおいいね。昔からあるちゃんとしたホテルって証拠だよ」
「?ちょっと、このガイドブックおかしいよ。"全室テレビ付き!"って。テレビがあるのは当たり前だよ。
わざわざ書くこと自体おかしいじゃないか!」
ははははは。400ルピー以上の部屋ってあんた。部屋にテレビどころかシャワーすらない部屋(共同シャワーって事)に泊まったりしていることは言えやしない。
(2000年の旅の話です。今は400ルピーなんて安い方に入ります。インドは物価が急上昇しました。)
そして、「パハールガンジに行くつもり」の台詞にホンダのおじさんはのけ反り、「やめなさいっ」と説得にかかる。
(※パハールガンジはニューデリーの有名な安宿街。中級ホテルもあったりする)。
「YMCAにしなよ。値段は手頃だし安全だよ。君くらいの若い子でも大丈夫だ」
あああ・・・。インド人を言い負かせるほどの気力もないワタシは、とりあえず頷いておいた。
ちなみに、電話番号が二つ以上あることを目安にするというのは、当時のインドの電話事情を物語っている。
電話をつなぐのに莫大な時間と費用(つまり袖の下ね)を要するこの国ならではだね。
今では携帯電話の普及が著しいので、このあたりの事情も変わっていることでしょう。
初めてのインド1人っていうことで多少の緊張を抱いての旅立ちでしたが、機内の出会いで気負いが抜けて、
「いや~、やっぱり楽しいんだろうなぁ♪インド♪」って、気持ちがすっかり切り替わりました。さい先いいですわ。
彼らが日本で出会ったら、当然日本語で話すのだという。
「なんで?最初からヒンディー語でいいじゃん。」「僕らにもわからない。でもなぜかみんなそうだよ。」
確かに、おじさんとケダールだけで会話をしているときは英語だった。
妙に気になったワタシは後日他のインド人にも聞いてみた。
「確かに何でかわからないけどみんなそうするね。一度、私も不思議に思った事はあるよ。
試しに飛行機で隣のインド人女性にヒンディー語で話しかけてみたんだ。
そしたら、やっぱり英語で返事をされた。しかも、同じ地元の人だったのにね。」
「"同じインド人なんだからヒンディー語で話そうよ"と言ってみたけど、彼女はずっと英語で通した」
なぜだろう?やっぱ、英語を話せることはステイタスが高いってことかねぇ。
エアインディアに乗るのも1年ぶり。
スッチーがサリーなのも、離陸前にまずパックの飲み物を配るのも、乗務員が全体的にハイエイジなのも同じ。
どたどたと通路をかけずり回って、落ち着きに欠ける彼女たち。のっけからインド気分を盛り上げてくれる。
私は今回も例に漏れず、荷造りに何時間もかけてしまった。
いつも持っていくモノは同じなのに、いちいち指さし確認。ホント、典型的なA型である。 一つ一つ必要性を吟味し、重さを削れるモノは徹底的に削るのだ。
旅先から送る絵はがきのために、システム手帳からアドレス帳を抜き取る。
ガイドブックは北インドの一部分を残し、必要のないページは取り外した。
すでに職場の業務用パンチで穴開けは完了しており、今回の最新兵器プラスチック製のファイルシートと リング代わりの止具でオリジナルな本に仕立て上げる。
さらにパキスタンに行きたくなったときのために、国境越えの情報は別の本の該当部分を1/4に縮小、両面コピーし挟み込む。 コピー用の上質紙は厚いから侮れないのだ。
全てがこんな調子なので、どんなに早く準備を始めても終わるのはいつも真夜中。 お陰様で忘れ物だけはない。
「エクスキューズミー!!」
ドタドタドタ・・・。相変わらずばたばたしているエアインディアのスタッフ。
ああ、眠いのに寝かせてくれない~。どうやらタイの入国カードを配っているようだ。
「バンコク?タイランド?」との問いに首を振るだけ振ると、眠るのを諦めてガイドブックを開いた。
半分以下の重さに減らした満足感でいっぱいなため、ついつい手にとってしまうのだ。
「インドまで行かれるんですか?」と、隣の青年が流暢な日本語で話しかけてきた。
初めての人と話すのが苦手だし、加えて隣は外国人だから緊張していたのだが、いきなりの日本語にびっくり。
彼は日本の某企業に勤めるインド人のサラリーマンで、3週間の休みを取ってムンバイの実家に帰省するところだそう。名をケダール君という。
「日本語だと気怠いって感じの意味になっちゃうから、やなんだよねぇ」というあたり、かなり日本語を習得している。
最初のとっかかりがスムーズに行くと心の壁のようなモノが取れ、途端に仲良くなってしまった。
彼はコンピュータープログラマーだそうで、「あ、やっぱり。インド人だわ」と単純に納得してしまった。
現在、コンピュータソフトウェアの分野では、インドが急成長しているというが、それに関わる人に初めて出会った。
「日本に来て最初ダメだったのは、会社の独身寮の大浴場。昼間隣のデスクで働いている人の前で
裸になるというのに抵抗があった。今は大丈夫。温泉も好き。」
「テレビは何でも見るけど、特にバラエティがすき。志村ケンがわかりやすくて面白い。
それとアメリカンジョークはダメだね。わざとらしくてついていけないよ。日本のギャグがいいね」
「食べ物は何でも好き。肉はインドではあまり食べないけど、日本では食べる」
しかもヒンドゥ教徒のくせにマックも行くらしい。インドのではなく、日本の!だって牛だよ!
博多ラーメンが妙に気に入っていて、替え玉という制度にいたく感動していた(笑)
なんかすごく楽しい。 ただ言葉が通じるから楽しいのではなく、日本に興味を持って、日本を知っている外国人としゃべっているからだ。
逆に、彼の方も同じ事を思っていたのではないだろうか。 インド通いをしている日本人はたくさんいるけど、日本で普通に生活していてもそうそうお目にかかれないだろうから。
私もここぞとばかりにインドに関することを質問責め。彼も嬉しそうに答えてくれる。
私の知っているガネーシャの伝説?は正しいか。簡単なヒンディー語のやりとり方法(旅で使える文句の言い方)。
おすすめのインドの食べ物。映画の楽しみ方。クリケットのルール。
そんな事を話しているウチにあっという間にバンコクに着いてしまった。
バンコク経由のこの飛行機では、バンコクで乗客の半分以上が降りていった。
インドまで行く者は外へ出るのも機内を歩き回ることさえ許されず、ひたすら自席で機内清掃が終わるのを待つ。
すると私の前の席のインド人とおぼしき中年男性が清掃係のタイ人ともめ始めた。
どうやらトイレに立った隙に席に置いておいた本を片づけられてしまったらしい。
すぐさま英語の分かるスタッフが飛んできて、彼の本を探し出してきた。
持ってきた本の表紙には「日本語検定2級」の文字。えええーっ?
「日本のどこで働いてるの?」
ケダール君ともすっかり意気投合してしまった日本語検定受検おじさん。
バンコクからデリーまではこのおじさんもトークに加わり、旅の始めからすっかり日本語付いてしまったワタシ。
いつも飛行機の中ではおぼつかない英語らしき言葉であたふたしているのに。・・・今回は一体、何だろう。
このおじさんはHONDA(INDIA)のマネージャーで、日本に勉強のために出向してちょうど1年。
10月には日本語検定2級の試験が控えていて、こうして機内でも勉強しているとのこと。
1年で日本語検定2級に合格するのは結構すごいことらしい。(ちなみにケダールはすでに2級を持っていた。)
月給は60万円。デリーに住んでいる。当然、高級住宅街だろう。
「給料35万くらいもらってるの?」って、もらってません!
飛行機で出会う時点でわかる事だが、なんだかんだ言ってケダール君も育ちがいいっぽい。
「デリーのホテルはよくわかんないけど、400ルピー以上の部屋に泊まれば間違いないよ。
それにホテルの電話番号が二つ以上有ればなおいいね。昔からあるちゃんとしたホテルって証拠だよ」
「?ちょっと、このガイドブックおかしいよ。"全室テレビ付き!"って。テレビがあるのは当たり前だよ。
わざわざ書くこと自体おかしいじゃないか!」
ははははは。400ルピー以上の部屋ってあんた。部屋にテレビどころかシャワーすらない部屋(共同シャワーって事)に泊まったりしていることは言えやしない。
(2000年の旅の話です。今は400ルピーなんて安い方に入ります。インドは物価が急上昇しました。)
そして、「パハールガンジに行くつもり」の台詞にホンダのおじさんはのけ反り、「やめなさいっ」と説得にかかる。
(※パハールガンジはニューデリーの有名な安宿街。中級ホテルもあったりする)。
「YMCAにしなよ。値段は手頃だし安全だよ。君くらいの若い子でも大丈夫だ」
あああ・・・。インド人を言い負かせるほどの気力もないワタシは、とりあえず頷いておいた。
ちなみに、電話番号が二つ以上あることを目安にするというのは、当時のインドの電話事情を物語っている。
電話をつなぐのに莫大な時間と費用(つまり袖の下ね)を要するこの国ならではだね。
今では携帯電話の普及が著しいので、このあたりの事情も変わっていることでしょう。
初めてのインド1人っていうことで多少の緊張を抱いての旅立ちでしたが、機内の出会いで気負いが抜けて、
「いや~、やっぱり楽しいんだろうなぁ♪インド♪」って、気持ちがすっかり切り替わりました。さい先いいですわ。
機中で利いたインドこぼれ話。
「インド人は飛行機の中で会うと英語で会話をするけど、同じ人に電車で会うとヒンディー語で話します。 さらに地元で会うと地元の言葉で話します(おじさんならパンジャブ語。ケダールはマンディ語)。」彼らが日本で出会ったら、当然日本語で話すのだという。
「なんで?最初からヒンディー語でいいじゃん。」「僕らにもわからない。でもなぜかみんなそうだよ。」
確かに、おじさんとケダールだけで会話をしているときは英語だった。
妙に気になったワタシは後日他のインド人にも聞いてみた。
「確かに何でかわからないけどみんなそうするね。一度、私も不思議に思った事はあるよ。
試しに飛行機で隣のインド人女性にヒンディー語で話しかけてみたんだ。
そしたら、やっぱり英語で返事をされた。しかも、同じ地元の人だったのにね。」
「"同じインド人なんだからヒンディー語で話そうよ"と言ってみたけど、彼女はずっと英語で通した」
なぜだろう?やっぱ、英語を話せることはステイタスが高いってことかねぇ。