ダライラマ法王の説法。「幸せのオーラで世界が平和になるのだ!」
煎餅布団に挟まれて眠るのも3日目。重くて決して快適ではないのに気候がちょうど良く、毎日ぐっすりと眠れる。
布団から這い出し、テントの外へ出るとKさんにばったり。
「いよいよ今日だねぇ」
待ちに待ったカラチャクラのオープニングの日だ。
テント村に宿泊しているチベット人達はいつにも増して気合いが入りまくり。洗髪する人、体を洗う人がすごく多い上にみんな念入り。
水道には近づける雰囲気ではない。いつもは空いているトイレの前の水道までもダメ。
だからKさん共々水道の脇ある用水路で顔を洗った。ごくたまに調理に使った汚水や石鹸の泡が流れて来るが、その時を除けば綺麗なモノ。 だいたいこの祭り会場の水道の水の水源も絶対、これだし。
ダライラマ法王のスピーチが始まるのはお昼の1時。それをめがけて続々と人々がスピティ入りしてくる。
テント村の入口付近は、周辺の村からのバスや車が着くたび土煙がもうもうと上がる。 バスは屋根の上にまでびっちり人が乗っていて、土埃の向こうにに微かに人影が見え隠れする。
そして、目の前にそびえ立つゴンパを見上げると、まるでアリの行列のように人間が次々と山を登って行くのが目に入る。 臙脂色の袈裟をまとったお坊さん、チベット人らしき民族衣装を着た人、金髪の外人など、人種は多種多様。
のんびりしている場合じゃない。そろそろ行かないと席がなくなるかも。
ゴンパまでの道のりは傾斜の緩い車道と、人がショートカットして自然に作られた道と二通りある。
「大丈夫。そんなに急でもないし、今日は人がいっぱいだから、詰まってゆっくりになるはず。」
人がいっぱいということは、逆に言うと、とろとろ歩いていると後ろの人が迷惑をするということである。
速度を落とさないように必至で登ったが、高地滞在5日目だけど、まだ息が切れる。日本人は軟弱なのだ。
この急坂登っているだけでも大変なのに、後ろから追いついてきたチベット人の若者はKさんにやたらと話しかけている。
「君たちは日本人?僕らはダラムサラから来たんだよ。何日までいるの?僕らは最終日までいるつもり。」
彼の格好は一見普通だが、シャツにはしわもなく、ジーンズの足下はびしっと革靴。これは彼にとっての一張羅だろう。
だらけた服装をしているのは旅の途中の外人観光客だけだ。
それにしても普段ダライラマ法王と同じ町に住んでいる人まで、こんな山奥までやってくるなんて。よっぽど特別な儀式なんだなぁ。
やっとの思いで上までたどり着くと、キー到着日にのぞきに来たときとは異なり、ものすごい人で溢れかえっていた。
一昨日は砂曼荼羅の儀式をやっていたが、一般人は中には入れなかった。
何も見れない割には人は結構いたけども、それは儀式が終わって出てくるダライラマ法王の出待ち。
読経が終わったダライラマ法王がテラスを歩いていくのを拝顔した僧侶たちが、ものすごい心の底から幸せそうな顔をしながら
法王に向かって手を合わせていたのが印象的であった。
そして、そのときあったどうでもよさそうな金属探知機の前に大行列ができ、男女別に荷物検査を受けながら会場に入る。
こころなしか男性の列の方が進むのが早いのは、鞄とか銃器を隠し持つ場所はいくらでもあるからだろう。
中に入ってみると、中央にはででん!と玉座が鎮座。法王がお座りになられるのだな!
そして、玉座に向かって左側にお坊さん専用の傍聴席。橙とえんじの縞模様のをした大きな布で日陰が形成されている。
一般人は木陰など日が当たらない場所から順に腰を下ろしており、玉座の目の前のアリーナ席は意外なほどガラガラであった。
我々は当然のように台座の目の前に陣取ったが、どうしてどうしてこれが結構大変だった。ヒマラヤの日差しをなめてはいけない。
ちなみに我々の腰掛けたその横に、日本人らしき青年がいた。
脱色してちょっと痛んだ明るい茶色の髪。腕に、首にインドで買ったというアクセサリーをじゃらじゃらとぶら下げている。
いかにも今時の若者という風体で、おおよそインドのこんな山奥のチベット圏なんていう地味なところに来そうなタイプではない。
「マナリでぶらぶらしてたら、ダライラマがいるって聞いたんで。 とりあえずインドではリシュケシュでヨガの修行して、ガンジス川で沐浴して、あとは"サメルキャハリ"が目的なんっすよ。」
それをいうならキャメルサファリだろう・・・。
ダライラマ法王が登場するとばしゃばしゃと写真を撮るだけとった彼は、暑さに辟易したのか、即座に会場からいなくなった。
うーむ。よくもダラムサラからこれだけのためにこんな山奥まで来たなぁ。
こんな短時間で立ち去っては交通費や時間の元がとれないと計算してしまうあたり、貧乏性だなぁ。私って。
予定時間より15分くらい早かっただろうか?キーゴンパから一台の橙色のレンジローバーが降りてきた。 法王の愛車は袈裟と同じ色。山道を走るからかやっぱり四駆だ。
坂の中腹で停車した車の扉がカチャリと開き、その人は現れた。ダライラマ法王である。
それま暑さにだれていた会場の誰もがシャキンと引き締まる。会場はどよめきに包まれる。傘はたたみ、帽子をとって会場中の人々が皆一斉に立ち上がった。そして、食い入るようにただただ一心に法王を見つめている。
ダライラマ法王は注目されていることなど気づいてもいないかのように、ゆったりとしなやかに坂を降りてきた。 そして、バルコニーに作られた玉座に腰掛けると、にっこりと笑い、会場に向かって口を開いた。
カラチャクラでダライラマ法王の説法をきく。
ダライラマ法王は、どっしりと玉座に腰掛けた。一呼吸おいたところで、しーんと静まり返った会場に向かって口を開く。 会場の人々に向かって質問を投げかけているようだ。
その質問に対し周りのほとんど大多数が手を挙げると、「なんだかわからないけど、私も挙げちゃお」と同じように手を挙げるKさん。
「チベット語がわかる人?って聞いてるんだよ」
どうやら、これからスピーチのためにアンケートを採っていたらしい。
スピーチはある程度チベット語で話した後に、ヒンディー語に訳すというカタチで行われることとなり、それは実質スピーチの時間が二倍に延びると言うことであって、どっちの言葉も解さない私にとっては余計なお世話であった。
Nさんの隣には、避暑地として有名なシムラという町からやって来たチベタンの母娘が座っていた。 彼女たちは春から秋の間はシムラの町で商売をしながら暮らし、冬になるとジャイプールまでセーターを売りに出稼ぎに出るという。
彼女たちはきっと、ジャイプールでは必要にかられて別の言語をしゃべっているハズだ。 それが英語かヒンディーかラジャスターニーかはわからない。 それにシムラでの生活もチベット語だけでは成り立たないだろう。
いろんなケースを想像してみれば、ヒンディー語しか喋れないチベタンがここにいることは充分ありえるわけで、 一応、ここはインドだから、インド人の中に説法を聞きに来てるひとがいるかもしれないし、この会場でチベット語に続くマジョリティーはきっとヒンディー語だろう。
一昨日ちらっと姿を見かけたときも思ったが、法王からは威圧感の様なモノがいっさい感じられない。
ここに集まってきている人々の家には彼の写真が飾られていることだろう。彼らにとってみれば、神様と同じひとなのだろう。 初めて彼を見る人は緊張のあまりにがちがちに固まっていてもおかしくはないし、私も変に緊張している。
玉座につく
のりのり、ダライラマ
打ち合わせ?のダライラマ
読経中のダライラマ
いきなりにこーっと笑みを浮かべ集まった人々に気さくに語りかける。人々からもたまにどっと笑いがもれる。 緊張で凝り固まっている民衆の気持ちを解きほぐしたと推察する。
日本にも何度か来日し、有識者の前でスピーチをされているが、その内容を聞くと、相当ユーモアのセンスに長けた人だと言うことがわかるが、 このときはダライラマ法王に関する知識がゼロに近かったので、そうとはしらず、身構えていたのを憶えている。
ある程度チベット語での説法をすると、彼の言葉がヒンディー語で訳される。 その間、彼はとても手持ちぶさたらしく、まるで音楽にのっているかのように体を左右に揺らしていたり、 周りに座っている僧にあれこれ話しかけたりと、とにかくじっと止まっていることがない。ダライラマ落ち着きなさすぎ!
こんな事言ってはいけないのだけど、でも彼が高僧であることを忘れてしまった。 近所のおっさんみたいだ。
ひとしきりスピーチが終わると、今度は会場全体での読経が始まった。
スピーカーから流れてくるダライラマの太くて低い声に合わせて人々も念仏を唱える。 それができない外国人は手を合わせ、目を閉じ、そのお経に耳を傾けている。会場は不思議な一体感に包まれていた。
と、ここまではとりすましていたのだが、私のそんな気分は1時間と持たなかった。
考えてみると、キーに来てからの三日間、こんなに長い間日に当たることはなかった。 夜がものすごく冷え込むから忘れていたが、ヒマラヤ山脈は世界最高峰な訳で、当たり前だが太陽がものすごい近い! 日差しがとてつもなく強烈なのである。
余りの暑さに頭の中がくらくらしてきて、差し迫った己の欲望でいっぱい。
「日陰に入りたいなぁ。座り続けでお尻が痛いなぁ。そういえば、昼御飯食べてないなぁ」
この状況では決して口には出せないようなことばかり考え始めた。
結局、自分もキャメルサファリの兄ちゃんとあまり変わらないのだ。彼のように素直じゃないだけたちが悪い。
「ダライラマのスピーチって1時間くらいかな?」
「え、そんな短くないでしょ。たったの1時間じゃ、わざわざ集まってきた民衆が怒るよ。」
始まる前に言われた言葉が頭の中をぐるぐる回っている。
二時間後、スピーカーから流れるダライラマの声が途切れると、会場内にほっとするような空気が流れる。
「あれ?終わり?」と思ったのだが、休憩時間ということだ。
さっきから気づいてはいたが、この炎天下のスピーチに耐えていたのはチベタンも同じだった。
みんな真夏の朝礼で校長先生の長い話を延々と聞かされている児童の如く、落ち着きなくきょろきょろしたり、周りの人とおしゃべりをしたり、暑さのあまりに足を投げ出したりしてだらけた格好をしたり、あからさまにスピーチに飽きているとわかる人が何人も目に付いた。
どんなにダライラマを尊敬していようとも、耐えられないものは耐えられないらしい。
そして、そんな人たちを見ても誰も注意はしない。会場内で子供が走り回ろうといっさいお構いなしなのだ。
休憩時間にほっとし、会場の外に出てみると、下から上がってきた商売人が店を開いていた。
チャイ屋は超大人気で、持ってきたポットの中身はあっという間に売り切れ。残っていたのはぬるくて甘ったるいマンゴージュースだけ。これなら飲まない方がましだ・・・。
ここで例のスピティ取材中の例のライターさん、カメラマンさんたちを発見。
彼らは仕事で来てるためちゃんとガイドと通訳がいる。だからここぞとばかりに、これまでの儀式のことを聞いてみた。
「カラチャクラはね。もともとたっくさんあるチベット仏教の儀式の中のひとつなんだって。 その儀式の中には過酷で辛いものもあるけど、カラチャクラはどちらかというと楽しい方の儀式なの。 踊りがあったりしてね。それをお祭りみたいなカタチにして、ダライラマは世界中でやっているんだって。」
「チベットの人々は、この場でダライラマに、神様に会えることがとっても幸せでしょう。 そして外国人観光客は、そんな彼らを見ることや儀式を見せてもらえることが嬉しい。 そんな幸せな気持ちがいっぱいになって、幸せのオーラみたいなものでいっぱいになると、そのエネルギーで 世界中の人々が幸せになって世界が平和につながると。」
「だからチベット圏だけではなくて、あちこちでこのイベントをやっているんだって。
今は中国との関係が良くないからダメだけど、そのうち日本でもやるかもしれないね。」
れまで興味本位でここにいることに罪悪感を感じていたのだけども、気分がぱーっと晴れた。
ここに集まるチベタンのこと、周辺のゴンパのこと、ダライラマのこと。
「彼らが大好きで、自分ができる範囲で何かできたらなって思って。」
当たり前の様に語るライターの謝さんの目尻に現れるしわは、彼の人柄の良さをさらに増長していた。
ダライラマ法王が心に描いている平和な世界が早く訪れるといいなぁ。
この頃は、新興宗教とかの影響で宗教=うさんくさいと思っていたのですが、このスピティの旅で
その考えがパッキリと切り替わったのを良く憶えています。